七福神咲いてます

毎日実家で「うるいの花」をチェックしてるんですが、今の季節、もう一つ咲いてる花があります。

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もうずっとずっと前、ひょっとしたらまだ高校生だったか大学だったか、その頃に父親とご近所に配達に行ったら配達先のおじさんがこれを栽培していて、世間話しながらほめたら小さいのを一鉢くださったんです。
なのでもうン十年の間、世代交代しながらうちにいます。

名前も知らないままだったんですが、このたび調べてみたら「七福神」という名前らしい。
なんて縁起がいいんでしょ!
今まで知らなくてごめんなさい(笑)

これがね、強いんですよ。
最初は小さい鉢1つに小さく咲いてたんですが、どんどん茎を伸ばしていくらでも増える。
そのうちほったらかすようになって、あっちこっちに伸びてたのをこのプランターにまとめて移したら、写真のように好き放題になってしまいました(笑)
これでも小さいのとかまびいたんですよ。

本当に冗談じゃなくいくらでも増えるので、花が終わったら思い切って減らして小さい鉢に移そうと思います。
大きいのだと節操無くどんどん増えてどんどん咲いて、お隣にまでいくらでも伸びていくもので。

でも花はキャンディみたいでかわいいので好きです。
一つ一つが色も形もとってもかわいい。
花のアップも撮っておけばよかったなあ。

◇エケベリア◇七福神◇2寸鉢◇
価格:486円(税込、送料別)

今が満開?うるいの花

先日からちょこちょこと様子をお知らせしてる「うるいの花」ですが、今日は1枚目の写真のようになってます。

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最初は上を向いてたんですが、今は自分の重みで垂れ下がってる感じです。
1番最初はこんな風だったんですよね。

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父親と2人で、

「小さい花が咲いてる」

と言ってたのに今の存在感(笑)

「小さいゆりのような花がちょこっと咲くのかな」

と言ってたんですが、たくさん増えた脇芽の一つ一つが思った以上に大きいゆりの花みたいに咲いてます。

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「もうそろそろ終わりちゃうか?」

と父親も言うんですが、一番上の小さいつぼみまで含めて全部で14個、それが全部満開になるのかな?

一番上のまで全部が満開になる前に、先に咲いたのがしぼんでいくように思います。
なので満開度で言ったら今が一番かも知れませんね。

しかし、思いもよらぬ姿になりました。
思わぬ楽しみができてうれしい♪

119じゃなくて551、今だけ限定パッケージ

昨日、妹が来たんですが、その時に、

「お昼に食べた時に買ったおみやげ」

と、

「551の豚まん」

を買ってきてくれました。

その豚まんがね、写真のような入れ物に入ってたんです。
中身を食べた後で写真を撮ったのでテープをはがしたあとがありますが、そこは見なかったことに(笑)

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何かと思ったら、蓬莱(551は社名じゃないですよ~念のため)が、

「IFCAA 2016 OSAKA」

を応援したコラボの箱みたいです。

「なんだそりゃ?」と思って調べてみたら、6月にある「大阪国際消防防災展」やら「国際救助訓練」やらというイベントの名前みたいです。
つまり、そのイベントの前後までの限定パッケージなんですね、この消防仕様の箱は。
中身はいつものおなじみの味、でも外は限定、今だけの珍しいのをもらってしまいました♪

6月8日から4日間のイベントなので、それが終わるまでにもう一度食べるかどうか分からない、なんか得した気分です(笑)

玄米とヨーグルト

「最近、免疫力が落ちてる気がする、免疫力を上げるために玄米とヨーグルトが食べたい」

ちょっと前にクマ旦那さんがそんなことを言い出しました。
テレビで「免疫力が上がる食べ物」としてあげた中にその2つが入っていたのだそうです(笑)

まあ健康に良いことはやってもよいでしょう、ということで毎日ではありませんが玄米を炊き、ヨーグルトも欠かさないようにしています。
今冷蔵庫に入ってるのはこの2つ。

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「いちごと桃」のは前から食べてますが、「さくらんぼ」は今回初めて見ました。
今まであったのかな?

玄米はない時もあるけどヨーグルトは2人で一緒に食べるようにしています。
さて、免疫力は上がるでしょうか?
気がついたら風邪ひかなくなってる、とかあるといいなあ。

神戸の空襲と母の実家 ~ひよこの聞き語り(11)

自分勝手に両親は親族から聞いた昔のことを書いていってますが、回を重ねるごとに自分でも何を書いたか忘れるようになってきました(笑)

なので最初から全部に副題をつけてみました。
これでどういうことを書いたかタイトルを見て思い出せます♪

今日は、昨日ちらっと書いた神戸の空襲のことを書きたいと思います。

うちの母とその家族も神戸の空襲を経験してます。

幸いにも家族全員無事だったんですが、空襲の中、まだ小学生(正確には国民学校生)だった母は一度家族とはぐれ、もうちょっとでそのまま取り残されるところになり、すぐ上の伯母が探しに戻ってくれて家族と再会することができたそうです。

「ぼーっとしてしもて気がついたら一人やった」
「あのまま残されたら生きてなかったかも」
「おばちゃんに何しとん!と怒鳴られてはっとした」

そう言ってたのを聞きました。

そうしてなんとか家族は無事だったんですが、空襲で荷物の大部分を失うこととなりました。

空襲より前に母達の実家は「接収」されることになってました。
「接収」とは、国や軍に家や持ち物を取られること、お国に寄付させられることです。
嫌でもどうしようもありません。

この際だからと祖母、一番上の伯母とその娘、母のすぐ上の伯母、母、母の弟である叔父は広島の竹原に疎開することになりました。
一番上の伯母さんの夫の実家です。

そして祖父と、大学生で京都に下宿していた伯父が帰ってきた時に過ごすための家を借り、そこに荷物を移したんですが、皮肉なことに引っ越したその夜にその引越し先が焼けてしまいました。
もう一日引っ越しが遅かったら、実家は出なければいけないとしても荷物は無事だったでしょうにねえ。
竹原に送った荷物とおじさんの京都にあった荷物だけは無事だったようですが。

そのまま母達は竹原に行き、そこで終戦を迎えることになります。

「接収」された母が生まれ育った家ですが、戦後も返還されることはありませんでした。
実は今もそこの住所がうちの本籍地になったままです。
両親が結婚する時、父は愛媛が本籍だったので、神戸が本籍の方が便利だろうと母の本籍を選んだんです。
そして私の本籍もそこだったので、うちの苗字になったクマ旦那さんの本籍地も自然にそこになりました。

「これで自分も神戸っ子!」

と、大変喜んでますが、その本籍地、今はテニスコートになってます(笑)

一度だけ母と見に行ったことがあり、今もネットの地図で調べたらテニスコートのままです。

高松のおじさんも同じく本籍地を移していないのでうちと同じ本籍、そしておじさんの長男もそのままなのだそうです。
もしも国に取られていなかったら、あそこがうちのいなかだったかも知れない。
私が子供の頃、大伯母の料亭に一族集まってお正月をしていたように、あそこでみんなが集まっていたかも知れませんね。