その日その時刻に ~ひよこの聞き語り(12)

毎朝、テレビをつけてその時刻を頼りに用事をしています。

朝はBSで朝ドラの再放送と今の放送を見て、それから「日本縦断こころ旅」がある時はそのまま、他は番組によってチャンネルを替えなかったり替えたりします。
他の番組が見たくないわけではないんですが、朝は忙しいのであまり決まって見る番組を増やしたくないもので(笑)

今朝も7時45分になったのでチャンネルを地上波に替えたらさっき見たばっかりの「とと姉ちゃんが」もう一度始まってびっくりしました。

「あ、そうか、今日は原爆の日で時間が早いのか」

原爆投下時間に合わせて式典が行われるので早かったんですね。

そのまま2回目の朝ドラを見て、続けて式典を見ながら家事をしてました。

毎年、これを見ると思い出すことがあります。

「昭和20年のこの日この時刻にママは跳び箱のテストで校庭に並んでたんだなあ」

「ひよこの聞き語り(10)~原爆を見た母」」にも書いたんですが、うちの母親は遠くからですが原爆の投下を見ています。

女学校の入試の体育の補習か何かで何人かで跳び箱の練習をしていたんだそうです。
飛ぶのを待つ間、跳び箱の方を向いて並んでたら視線のずっと遠くで何か見たことがない雲がもくもくと湧き上がり、みんなであれはなんだ、とみんなで言い合ったそうです。

その時にはもちろんなんだか分からなかったんですが、後で「広島に新型爆弾が落ちたらしい」との情報が入ったとか。

地上に落ちた最初の原爆の雲を自分の身内が見ている、そう思うと毎年なんだか妙な気分になります。

幸いにも母達がいたのは同じ広島でもずっと離れた竹原市だったので全く影響はなかったそうですが、投下後、そう日にちが経たないうちに、母の一番上の伯母が知人を探すために市内に行ったそうなんです。
伯母は60になる前に病気で亡くなったのですが、長く病気を患っていたのがそれと関係あったのかなかったのか、それは誰にも分かりません。
それでも「ひょっとしたら・・・」とは、母ももう一人の伯母も口にしたことがありました。

自分は幸いにも直接原爆の影響を受けずに生まれてきて生きています。
ただ、自分の親しい人がそういう形でですが、多少なりとも原爆と関わりがあった、ということを忘れずにいたいと思います。
そういう形でも、少しは忘れない理由にできると思うから。