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神戸の空襲と戦後の女性の生き方 ~ひよこの聞き語り(14)

朝ドラの「べっぴんさん」を毎朝楽しみに見ています。

前回の「とと姉ちゃん」の時には西島さんの「とと」を見て祖父を思い浮かべたんですが、今回は人物じゃなく、やはり神戸の話で神戸の空襲から母や祖母のことを思い出しました。

「祖母のことを思い出した」と言っても、私が生まれるよりずっとずっと前、まだ母が若い頃に亡くなった祖母にはもちろん会ったことがありません。
なので全部まさに「聞き語り」になります。

今日の「べっぴんさん」では神戸に空襲があり、ヒロインが生まれ育った家が焼けてしまいました。

うちの母親は生まれ育った家は焼けなかったんですが、「接収(国や軍に取られること)」された家、母が育った家(生まれた時はここだったかどうかちょっと分からないので)から荷物を移した先の家が焼けて、結果的に荷物がほとんど焼けてしまいました。
疎開先(一番上の伯母の夫の実家)に送ったわずかばかりの荷物が残ったのみです。

焼け跡で呆然とするヒロインを見て、うちの母やその家族もこんな感じだったのかなあ、と考えました。

それから、来週の予告で、ヒロインの初恋の人で、今は実の姉の夫になっている人に、

「これからは女性も自分の手で稼いでいかないといけない」

と、言われてるシーンで祖母のことを思い出しました。

祖母は、一応「奥様」と言われる立場だったらしいのですが、そもそもが苦労人で生活力があった人だったので、戦後、自分が作った「塩あん」のおまんじゅうなんかを闇市で売り、稼いだこともあったようです。

来週から、それまでは家で守ってもらうだけだったお嬢様のヒロインが生きるために働く姿を見たら、多分祖母のことを思い浮かべるんだろうな、と思いました。

うちの祖母は自分で会社を起こしたりはしてないけど、生きるために、子供達のために自分ができるだけのことをした人でした。
もちろんこれも聞き語りですが。

映画やドラマは、自分が経験はしていないけど間接的に見たり聞いたりしたことを補完してくれる効果もあると思います。
来週から、ヒロインが必死にがんばる姿を見て、自分の中の想像の祖母や母達のことに重ねていくことになるのかも。

戦争のこと、戦後のこと、ドラマや記録映像や、色んなことで見聞きしますが、舞台が神戸ということで、より一層身近に感じている私です。

その日その時刻に ~ひよこの聞き語り(12)

毎朝、テレビをつけてその時刻を頼りに用事をしています。

朝はBSで朝ドラの再放送と今の放送を見て、それから「日本縦断こころ旅」がある時はそのまま、他は番組によってチャンネルを替えなかったり替えたりします。
他の番組が見たくないわけではないんですが、朝は忙しいのであまり決まって見る番組を増やしたくないもので(笑)

今朝も7時45分になったのでチャンネルを地上波に替えたらさっき見たばっかりの「とと姉ちゃんが」もう一度始まってびっくりしました。

「あ、そうか、今日は原爆の日で時間が早いのか」

原爆投下時間に合わせて式典が行われるので早かったんですね。

そのまま2回目の朝ドラを見て、続けて式典を見ながら家事をしてました。

毎年、これを見ると思い出すことがあります。

「昭和20年のこの日この時刻にママは跳び箱のテストで校庭に並んでたんだなあ」

「ひよこの聞き語り(10)~原爆を見た母」」にも書いたんですが、うちの母親は遠くからですが原爆の投下を見ています。

女学校の入試の体育の補習か何かで何人かで跳び箱の練習をしていたんだそうです。
飛ぶのを待つ間、跳び箱の方を向いて並んでたら視線のずっと遠くで何か見たことがない雲がもくもくと湧き上がり、みんなであれはなんだ、とみんなで言い合ったそうです。

その時にはもちろんなんだか分からなかったんですが、後で「広島に新型爆弾が落ちたらしい」との情報が入ったとか。

地上に落ちた最初の原爆の雲を自分の身内が見ている、そう思うと毎年なんだか妙な気分になります。

幸いにも母達がいたのは同じ広島でもずっと離れた竹原市だったので全く影響はなかったそうですが、投下後、そう日にちが経たないうちに、母の一番上の伯母が知人を探すために市内に行ったそうなんです。
伯母は60になる前に病気で亡くなったのですが、長く病気を患っていたのがそれと関係あったのかなかったのか、それは誰にも分かりません。
それでも「ひょっとしたら・・・」とは、母ももう一人の伯母も口にしたことがありました。

自分は幸いにも直接原爆の影響を受けずに生まれてきて生きています。
ただ、自分の親しい人がそういう形でですが、多少なりとも原爆と関わりがあった、ということを忘れずにいたいと思います。
そういう形でも、少しは忘れない理由にできると思うから。

「とと姉ちゃん」を見て祖父を思う ~ひよこの聞き語り(1)

毎朝「朝ドラ」を楽しみに見ています。

先週までの「あさが来た」が本当に面白くて終わってしまってがっかりしてたんですが、今回の「とと姉ちゃん」もしみじみほんのりしてていいなあと思って見ています。

何がいいと言って西島秀俊さんが演じるお父さん、すごくいいんです。
昭和初期の日本って父親が家長で一番偉くて、家長が白と言ったら黒いものも白!という時代だったはずなのに、小さい子供も一人前の人間として扱って、尊重して優しくて、誠実で。
いいなあ、とほのぼのして見ています。

私の母方の祖父がちょうどそういう感じだったみたいです。
年代的には同じぐらいなのかなあ。
母の一番上の伯母が大正生まれで、その後主人公と同年代の伯母もいたりするからちょうどそのぐらい。

祖父が、やはり西島さんのお父さんのように、子供を一人前の人間として扱うような、そんな方だったらしいんです。

祖父は、元々は広島の浅野藩の家臣の家に生まれた次男だったんですが、長男であるおじさんが早世し跡継ぎになったはずが、その後明治維新で藩と共に家もだめになってしまった時代の生まれです。
ちょうど「あさが来た」のあさとも同じぐらいの年代の人間ですね。

曽祖父は、家屋敷、家系図、刀剣など一切合切をまとめて売り、そのお金を持って家族3人で神戸に来て、そこから一から生活をスタートさせたらしい。
そして祖父は、頭のいい人だったらしく、苦学して、それなりの地位について祖母と知り合い家庭を持った。

紳士でインテリで、そして子どもたちも呼び捨てになどせず、みんなに「さん」づけで呼んで、絵や俳諧の素養もあって、と、まあ私を見たことがある人なら、

「その人、本当にひよこさんのおじいさん?」

と、思うような方だったらしいです(笑)

私は写真でしか知りませんが、本当に「紳士」という風貌の人で、亡くなった一番上の伯父とよく似ていました。
残念なことに、私が生まれる何年も何年も前に亡くなってしまったので、祖父が残した俳句などを書きつけた手帳や数枚の絵ハガキ(祖父の職場で祖父の絵をハガキにしてお客様に差し上げていたらしい)、それから写真でしか知りませんが、生きていたらどんな話をしてたかなあ、と思ってしまいます。

母がよく言ってたのは、私が子供の頃から星を見るのが好きで、歴史の話なんかを好きなのを見てると祖父を思い出す、とのことでした。
う~ん、どこかに微かに少しでも、祖父の片鱗が流れてるんでしょうか、私にも(笑)

毎朝、そういうことを思いながら「とと姉ちゃん」を見ています。