緊急地震速報

今日の2時過ぎ、私は父親に頼まれて銀行に行ってました。

待合スペースで座って待っていたら、

「ぎゅいんぎゅいんぎゅいん」

と、近くに座っている人の携帯らしき音が鳴ったので、

「誰かの携帯が鳴ってるなあ、それにしてもすごい音設定してるな」

と、思いました。

と、すぐに今度は反対側からも、

「ぎゅいんぎゅいんぎゅいん」

そして他のところからも、

「ぎゅいんぎゅいんぎゅいん」

と3つぐらいが遅れて鳴り出しました。

「何!」

と思ったら、男性の方が、

「地震や!」

と叫んで入り口の方に早足で出て行ったので、

「あ、あれが携帯の地震速報か」

と思ったら、それからすぐに揺れがやってきました。

うちの電話はPHSだからか、それとも古いからか、そういうの一切鳴らないんです・・・

銀行の高い天井を見上げたら、上の方にある電灯がゆらゆらと揺れてましたが、

「あまり大したことはないな」

と思ってじっと座ってました。

何人かが待合スペースに座ってたんですが、私ともう一人の女性以外の数人が入り口の方に移動し、入り口近くのATMコーナーの方もうろうろと移動してました。

大したことはないしと思ってたんですが、まず実家の父親が心配になって電話をしたら、

「大丈夫やけど久しぶりにちょっと大きかったなあ」

という返事。

次に、クマ旦那さんに電話をしました。

どうして父親が先でクマ旦那さんが後かと言いますと、やはりマンションは耐震がしっかりしていることと、携帯に出る早さが違うんです。
父親は手元に携帯を置いてるのですぐに出るんですが、クマ旦那さんは離れたところに置いてあるカバンに入れてるの出るまでに時間がかかります。
なので、何かあった時には父親、クマ旦那さんの順番に電話することにしています。

そしたらクマ旦那さんが、

「結構揺れてる、今どこ?お店?まず安全確保して動かないで」

と言うので、

「今は銀行、そっちも気をつけてね」

と話して電話を切りました。

その間に銀行の方が、

「ATM見てきます」

と、機械に異常がないかチェックしに行き、

「大丈夫でした」

と報告し、奥の方で行員の方が、

「阪神電車が停まってる」
「兵庫県は震度4」

などと話してるのが聞こえてきて、

「え、これは結構大きい地震だった?」

と、この段階でちょっと心配になり、銀行の後でドラッグストアに寄る予定を切り上げて実家の方に戻りました。

戻って、

「地震どうやった?」

と聞いたら父親が、

「ちょっと長かったなあ、久しぶりに大きかったなあ」

と、あまり慌てるような様子もなく、それでも「大きかった」と言うのでそうだったのかな、と思いました。

それからクマ旦那さんにあらためて電話をし、実家まで戻ったことを伝えたら、

「余震があるかも知れないから気をつけて」

と言ってくれて、あちらも何もなかったのことを確認してほっとしました。

マンションに帰ったら、

「まだ揺れてる時に電話してきたら危ないから」

と言うのでまたびっくり。

銀行から電話した時、こちらはもう全然揺れてなくて終わったと思ってたのに、マンションの方はまだ揺れてたようです。
大きくて長かったんですねえ。

銀行は大きな金庫もあるし、かなり丈夫にできてたのか、ほとんど揺れなくてそんなに大きい地震だとは分からなかったんです。

今のところ、大きな被害が出たとは聞いてませんが、熊本の例もあります、油断せずに、しばらくは気をつけたいと思います。

今回の地震で揺れた地域の方も、今回は揺れなかったけど揺れた地域から遠くない方も、みなさん、お互いに気をつけましょう。
まずは頭を守って、落ち着いて行動なさってください。

ロバのパン屋と「コロちゃん」 ~ひよこの聞き語り(16)

昨日、戦後の元町のことをちょっとだけ書きました。

戦後、二十年代半ばぐらいに母達は広島の竹原から神戸に戻ってきて元町に居を構えました。
その後、母は高校を卒業後、元町にある会社に就職したんですが、家から歩いてすぐなので、お昼ご飯は帰って来て食べる、ようなこともあったようです。

会社でお昼ご飯を食べた時の話もしていたので、その日によって違ったのかも知れません。
そのお昼休みの話を今日は書きたいと思います。

タイトルに「コロちゃん」と書いてますが、ちょっと記憶があやふやで本当に「コロちゃん」だったか、それともひょっとした名前だったかも知れませんが、「コロちゃん」だったと思うのでこの名前でいきます(笑)

母(と父親も母の後から入社した会社ですが)の勤めていた会社で、みんなで飼ってるような犬がいたんだそうです。
今ほどきびしい時代ではなかったので、つないでおくとかそういうのじゃなく、なんとなく会社に住み着いたのかも知れません。
その犬が、おそらく「コロちゃん」でした。

この子がとても賢い子で、自分でおやつを買いに行ってたんだそうです。

当時、元町に「ロバのパン屋」が来ていて、

「ロバのおじさんチンカラリン、チンカラリンロンやってくる」

と、歌を流しながら元町にもパンを売りに来てたんだそうです。

「ロバのパン屋」とは、ちょっと聞いたところでは今も車で移動販売のパンを売っているらしいのですが、当時は本当にロバが荷車?をひいて売りにやってきてたパン屋さんです。

その歌が聞こえたら、母も含めた会社の人が「コロちゃん」に確か「5円」をくわえさせてやるんです。
そうしたらそのお金をくわえて「ロバのパン屋」さんまで行って、蒸しパンをくわえて帰ってきて、おやつを食べていたんだとか。

すっごく見たいですよね!
今は、リードをつけないで犬を離すなんてダメですが、それは戦後の時代のこと、普通にそのあたりを飼い犬もうろうろしてたりもしたんでしょう。
毎日のように自分でおやつを買いに行っていたようです。

犬が来ても売ってくれるパン屋さんもいいし、まだまだ混沌としてただろうけど、のんびりしたところもある時代だったんでしょうね。

おそらく、昭和三十年になるかならないかぐらいの時代のこと、これから日本がどんどん経済成長していく時代の、ちょっとほっこりするお話でした。

戦後の元町 ~ひよこの聞き語り(15)

今朝の「べっぴんさん」で戦後の元町の風景が出てきました。

「出てきた」と言っても、「空襲で焼けなかった」という話と、町らしき風景が出てくるだけですが(笑)

母親とその一家は戦後この「元町」に住んでいました。
元々、戦争が始まるまでは「上筒井」というところに住んでいたんですが、軍に「接収(国や軍に取り上げられること)」されて荷物を借りた家に移すまではそこでした。

今も、私の本籍地もそこになったままです。
戦争と戦後の混乱で変更することがないままきてしまったのか、それとも、いつかはそこに戻ろうと思っていたからか、母の本籍地がそこのまま残っていたもので、四国から神戸に来た父親もそこを選び、私の姓になったクマ旦那さんも自然にそのまま、今は「神戸市中央区~~」の住所のままです。
ちなみに、今はそこはテニスコートになっています。

とにかく、「上筒井」に住んでいたんですが家を取られることになり、それをきっかけに祖母と一番上の伯母と伯母の娘、二番目の伯母、母と叔父が上の伯母の夫の実家のある広島の竹原市に疎開することになりました。
祖父は仕事があるのでそのまま神戸に残ることになったんですが、その家に元々の荷物を移したらその夜に空襲があり、皮肉なことに移った先の家が焼けてしまいました。
長男である伯父は大学があって京都にいたので、女子供だけが疎開することになったんです。

戦後、理由は分かりませんが、元の「上筒井」ではなく「元町」に家を構え、疎開先から戻った母達もそこで生活することになります。
当時、母は高校生で、そこで高校を卒業し、就職し、就職先で父親と知り合って結婚して家を出るまで「元町」に住んでいました。

「元町」の家もその後再開発で立ち退くことになります。
「元町」で住んでいた家の跡にも行ったことがありますが、今は駐車場でした。
えっと、そういう場所にばっかり住んでたみたいですね、今はテニスコートだの駐車場だの(笑)

今もそうですが、当時も「元町」は商店街で、少し離れたところに「さくらバー」という飲み屋さんがあり、そこにはアメリカ兵とかも来ていたようです。
今ではビリヤード場と言いますが、当時は「玉突き場」と呼ばれていたようで、点を入れるたびに「いって~ん、にて~ん」と、そろばんのような点数つけ?をはじく女性の声が聞こえていた、とか。

「アメリカ兵がどこかのお店と間違えて、靴のままで家に上がってきてびっくりした」ようなこともあったようです(笑)
以前書いた(「アメリカさんと祖母」)、祖母がアメリカ兵に「ママサンベビサン?」と呼びかけられたのもこの「元町」の家です。
アメリカ兵が来ると「ハローが来た」と言っていたというので、ごく普通に「元町」をアメリカ兵がうろうろしていた時代だったんでしょうね。
ドラマでもアメリカ兵がちらちら見えるでしょうか?

「上筒井」は住宅地のようで、「竹原」はいなか、そこから商店街に引っ越したんですから、一気に賑やかな場所になりましたね。
裏に住んでいたちょっと個性的な住人さんとの話も聞きましたし、祖父も祖母もその家で亡くなってますから、母から聞いたかなりの話がこの「元町」が舞台だったりします。

「べっぴんさん」のヒロインは、この「元町」から「ファミリア」の第一歩をスタートします。
母達が戻った頃にはもう「元町」で商売をされていたようですので、ひょっとしたらすれ違ったり、場合によっては仕事で接触があったかも知れません。
何しろ会社の近くでしたし。

これからどんな「元町」が出てくるか分かりませんが、母がいたら、ドラマを見ながら色々話せたかもなあと思います。
父も、昭和二十年代半ばからの「元町」を知っていますから、ドラマを見ながらああだこうだと話すのを楽しみにしています。

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初みかん

実家に行ったらみかん箱が来てました。

いなかの本家のいとこが送ってくれた、このシーズン初のみかんです。
写真のように、まだ少し青いところがあるみかん、でも私でも食べられるぐらい甘いみかんでした。

20161018b

私はみかん農家の孫に生まれたのに柑橘系の酸っぱいのが苦手(笑)
でも、不思議な事にいなかから来たみかんだけは食べられるんですよね。

ただ、それでも、一人で一つ食べるのには勇気がいります。

だって、もしも酸っぱかったらどうしたいいのか!(笑)

今日はまず父親が一つむいて私にも分けてくれようとしたので、

「見るからにすっぱそうやし、いらない」

と言ったら、

「甘いから」

と、一房くれたのを疑いながら食べたら、

「甘い!」

それを聞いてまた少しくれたんですが、それを食べて、

「うん、ギリギリ私が食べられる甘さ」

を認定しました(笑)

いつもいつも不思議です。
どうしていなかからのみかんはこんなに甘いんでしょう?
子供の頃からずっと不思議でした。
売ってるみかんでも愛媛のみかんがあるのに、同じ地方から来たのに酸っぱかったりするんですから。

今日みたいに、父親とかクマ旦那さんが食べてから、

「甘いから大丈夫」

と、認定してくれたのだけ食べてますからえらそうに言えませんが(笑)

私と年が離れているもので、いとこももう80歳近くなり、いとこの息子(私より年上です)は別の職業に就いてますから、いつまでこうして送ってもらえるのかな、と思います。

いなかから来るみかんの箱、まだまだこれからも何年も見たいと思ってます。
元気でいてください。

スーパーメントール

クマ旦那さんは風邪をひくと喉にくるタイプです。

「のど飴買っておいてほしい」

風邪をひきそうになると、まずのど飴をなめてのどの違和感を治めてます。

「のど飴が効くうちは大丈夫、効かなくなったらヤバイ」

のだそうで、のど飴は常備品です。

私はあまり飴やガムが好きじゃありません。

「関西のおばちゃんのかばんには飴ちゃんが入ってる」

のが定説ですが、私には当てはまりません(笑)

なので、飴はよっぽどのことがないと買うことがなかったんですが、今は安売りの時があるとまとめて買っておくようになりました。

今日もご近所のスーパーでクマ旦那さんが一番重宝している「スーパーメントール」が特売だったのでまとめ買いしておきました。

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クマ旦那さんの「のど飴の定義」は、

・ノンシュガー
・喉がすっとする
・チャック袋に入っている

です(笑)

「チャックがついてない袋はすぐベタベタになるから」

らしいんですが、その条件を全て満たすのがこの「スーパーメントール」なので、お得な時には買っておかないとね。

まあ、できるだけ風邪をひくようなことがないように、飴をあまり消費しないようにしてもらうのがいいんですが、薬代わり、と思って切らさないようにしています。

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