今、いとこがおじさんとおばさんの住んでた家、いとこの実家を片付けてます。
来週、いよいよ買い主さんに引き渡すためです。
おばさんはあの震災の年に亡くなり、その後おじさんが1人で住んでいたんですが、もう数年前に亡くなったのでそれからずっと空き家になってます。
それでも持ち家なのでなんだかずっとそのままあるような気がしていて、気持ちの上で私も甘えていたような気がします。
ずっと思い出が残っていてくれるような。
この家に住んでたおばさんは、少し年は離れてますが母のすぐ上の姉にあたります。
美人でしっかりしていて、子供の頃はガキ大将だったそうです(笑)
生きてれば今年で米寿です。
長生きしていてほしかったなあ。
そういう年なので、戦争が激しくなってきた頃にはちょうど女学校(と言ってもほぼ勤労動員だったらしいですが)に通っていて、きびしくなってきた戦況を聞いては、
「なんて男達は頼りない!私が男だったらすぐにでも行って敵を倒してやるのに!」
などと思っていたと本人から聞きました。
色々なことが伏せられていた時代とは言え勇ましいものです(笑)
その後、母達と一緒に広島の竹原というところに疎開し、そこで終戦を迎えることとなり、女学校も卒業したので役場で働いていたそうですが、その頃はちょうどお年ごろ、神戸から来たべっぴんさんはかなりもてもて、マドンナだったそうです。
そしてある時、こんな事件があったそうです。
おばさんのことを好きになった男の人がいて、ある時、多分役場の用事で人が集まるとか嘘を言っておばさんを呼び出したのかな、なんだかそんなことで行ってみたらその男の人が一人だけ来ていて、おばさんに花束を差し出して、ひざまずき、
「好きです、結婚してください!」
とやったそうな(笑)
なんだかドラマみたいですよね。
でもそんな気一切ないおばさんは、とっとと逃げて帰ってきて、あえなくその方は失恋したのだとか。
でも多分、その人はおばさんと結婚してもうまくいかなかったんじゃないかな、と思います。
と言うのはですね、上にも書きましたが「自分が男だったら」と思うような気丈夫な人です。
おそらく、役場の人達の前では猫かぶってたと思う(笑)
都会的で気が強くて、とってもいなかの農家のお嫁さんになれる人ではなかったと思います(笑)
あぜ道をバレエのグランジュテのようにポンポン飛びながら帰ってくる人、多分無理(笑)
その後、神戸に帰ってからは大伯母の料亭を手伝うこととなり、大伯母が年をとるにしたがって、このおばさんが文字通り中心で切り盛りしていました。
おばさんだから、と取引してくれるお客様も多くいたそうです。
その後おばさんは健康を損ねてから遅い結婚をし、料亭は大伯母の養女夫婦が継いだんですがつぶれてしまいました。
時代的なこともあるのでおばさんが継いでいたら今もあったとは言いませんが、もうちょっとなんとかなってたんじゃないかなあとは思います。
そう思うぐらいしっかりした、ある意味母達兄弟姉妹の要のような人でした。
私も思い出がいっぱいあるんですが、亡くなる前には毎日病院に通っていたのでどうしても弱ってきてからのことを思い出すことが多く、もっと前の楽しかった元気だった頃のおばさんを思い出さないとだめだなあと思います。
笑える話もいっぱいあるもの(笑)