明日はお昼に出かける用事があるので、父親のお昼用に「そば焼き」を作っておきました。
どうして「焼きそば」ではないのか?と思われるかも知れませんが、神戸では「そば焼き」という呼び方だったんです。
今はなんでも全国標準で「焼きそば」の言い方の方が多いみたいですが、ずっと「そば焼き」で育ってきた身からすると、なんだかちょっと違和感が(笑)
以前に話題に出した「かんとだき」と同じような感じですね。
元々関東出身のクマ旦那さんですが、今は関西大好き、私の出身の神戸大好きな人なもので、「焼きそば」と言うと逆に「そば焼きでしょ」と言われる始末です(笑)
なので、我が家ではこれからもずっと「そば焼き」でいきますよ♪
こういう小さいことで笑えるって、普通の生活ができるって本当に幸せなことだと痛感する日です、今日は。
あの日、一瞬でその小さなことが崩れ去ってしまった方がたくさんいらっしゃった。
我が家も多少なりとも被災をしましたが、なんとか家族全員無事でした。
もう19年、まだ19年。
これからもこの日になると同じことを思い出し、同じことを考えるだろうと思います。
昨夜仕事の帰り、18時前位でしょうか
満月をみて思い出しました。
19年前も前日の16日、私は満月を見上げておりました。
その時の月があまりに美しく、そして赤かったので
とても印象に残っているのですが
翌早朝、震災が起こりました。
改めて当時のことを思い出しました。
なにもかわらない毎日が幸せな事
痛感します。
「そば焼き」はしらんかったよ~@@
ツモリアさんもあの震災を経験なさってるんですね。
私は当日、家ではなく伯母の病院で付き添いをしていました。
病室には物がないのでひどく揺れてるのは分かってたんですが、物が落ちたりしなくていま一つピンとこずに揺られてたんですが、私が寝ていたすぐ横にはめ殺しの窓があり、それがしなってる音がして、「ああ、これが割れて落ちてきたら私は死ぬな」と思ってました。
うちの実家は幸いにも今も住めるほどのダメージだけ(それでも結構ひどかったですが)だったんですが、半日ほど連絡が取れなくてとても不安で怖い思いをしました。
私は、もしも自分の部屋で寝てたら大ケガをするか命を落としているところだったので、電話が通じた途端に母が、私がおばさんに助けてもらった!と叫びました。
本当に今もこうして生きてられるのって運がいいことなんだな、とこの日になると思わずにはいられません。
「そば焼き」はちょっと古いお店とかで、そのままのメニュー貼ってるところとかには今もあったりします。
時々見つけてはうれしくなります(笑)
大変な経験をされたのですね。
あの日、ちょうどトイレから出て布団に戻ろうとした時に
立っていられないくらいの激しい揺れに襲われたこと、今でもはっきり憶えています。
知人のご家族が亡くなったり、友人が怪我をしたり・・・
平穏に過ごせること、当たり前のことではないのですよね。
日々を大切に過ごさなければと改めておもいます。
神戸には友人も多いのですが「そば焼き」というのはじめて知りました。
関東出身のご主人が「そば焼きでしょ」、素敵なご夫婦関係ですね☆
地方によって呼びかたの違う食べ物結構ありますね。
味噌汁のことは、私は「おつゆ」、夫は「おつい」といったりします^^;
かっちゃんさんもあの震災を体験されてるんですね。
私なんか大変な体験をしたと言えるほどのこともないですよ、たった半日のことでしたから。
何日も何日も家族と連絡を取れなかったり、消息が分かったら悲しいことだった方が本当にたくさんいらっしゃいましたから。
私も直接の親族や友人には幸いにも無事だったんですが、間接的には何名か亡くなってらっしゃいます。
本当に何も関係ない人がいないぐらいの震災でした。
今こうしてるのって奇跡に近いんだなあ、とこの日になると思うんですが、普段は忘れてしまっていますよね、人間って勝手だなと思うと同時に、忘れるということができるから元気に生きていけるんだとも思います。
年齢もあるんじゃないかなと思います、「そば焼き」(笑)
なので古いお店に古いメニューが残ってて「そば焼き」になってると「おぉ!」と興奮してしまいます(笑)
なんでですかねえ、神戸をえらく好きになってくれまして、昨年の11月には「神戸の町を走りたい」と神戸マラソンにも参加してましたよ(笑)
あ、私も「おつい」です。
それをクマ旦那さんに初めて言った時は信用してくれなかったくせに、今は自分も「おつい」と言ってます(笑)
朝ドラの「ごちそうさん」でも「おつい」使ってましたね、うれしかったです♪