今日の新聞に、いわゆる「ら抜き言葉」についての記事が載っていました。
以前は「言葉の乱れ」だと言われていた「ら抜き言葉」が、今は広く使われ多数派になった、これは日本語が壊れてきたのか?世間の流れか?と、「ことば」の達人と言われる人達に意見を聞いた記事でした。
色々な意見があったけど、現実として今使われていることに対し、「時代の流れで自然なこと」「一部地域では使われていた」「嫌だがつい使ってしまう」「場面によって使い分けるべき」と、完全に否定する言葉は見えなかったように思います。
「ら抜き言葉」が話題に上がり出した頃から、私にはちょっとした疑問がありました。
「ら抜き言葉言われとう言葉、普通に関西でつことうよね?」
あえて、自分が普段使っている言葉で書かしてもらいましたが、そうなんですよ。
子供の頃から普通に使ってました。
自分だけじゃないと確信したのは、ある時に桂枝雀さんの落語のテープを聞き直していた時です。
録音された時期は、多分80年代だと思うんですが、その中でも普通に使ってます。
「せやろせやろ、見れるやろ?見れるやろ?」
みたいな感じです。
私は子供の頃から落語が大好きです。
本格的に聞くようになったのは高校時代からで、その頃からずっと色んな落語を聞いてますが、「ら抜き言葉が変だ」と違和感を持って聞いたことはありません。
普段の生活での普通に「ら抜き言葉」が周囲で使われていたので、「ら抜き言葉は日本語の乱れ」と言われるようになった頃、びっくりした記憶があります。
「どうしてら抜き言葉が広まったのか」
私的な意見ですが、これって、関西のお笑いの人が全国区になったから、が関係してないでしょうか?
関西の芸人さんが全国放送でも普通に関西弁を話し、例えば関東でも「見れる」「出れる」のような「ら抜き言葉」を耳にする機会も多くなり、そうなると楽に発音できる「ら抜き言葉」の方が自然と選択されていったんじゃないのかなあ?
「ら抜き言葉」を憂う記事や番組を見たり聞いたりするたびに、もう何十年もずっとそう思ってました。
そのうちに誰か言うんじゃないかな、とほっておいたんですが、誰も言わないので自分で言います(笑)
自分の意見が正しいと言うんじゃないんです。
ただ、言葉の専門家の方達が、誰も指摘しないのが不思議でしょうがなくて。
若い芸人さんが使ってるなら、「ら抜き言葉」が浸透した関西人でも不思議じゃないんですが、古い落語のテープなんかで、当時もうすでに師匠と呼ばれる方達が普通に使っていたってことは、多分関西弁では普通だったんですよ。
古い録音とかも聞いたことがあるので、少なくとも40年ぐらい前の古典落語の中には出てきています。
誰か専門家が研究してくれないかなあ(笑)