親戚に不幸があり、お通夜とお葬式に行ってきました。
神戸の斎場は鵯越です。
車で急な坂を登った緑の多い静かな場所に斎場はあります。
子供の頃から何度も来た場所ですが、今は団地がたくさん建ち、人口密度はどのぐらいあるのだろう、と思うほどです。
「鵯越」と聞くと、平家物語を思い浮かべる方も多いかも知れません。
あの源平合戦の時、源義経が平家の背後から急な坂道を駆け下りて急襲し、戦いを勝利に導いたと言われる伝説の場所です。
「ここには鹿のフンがある、ということは鹿が生活している場所だということだ、鹿も馬も同じ四本足、鹿が降りられて馬が降りられないはずがない」
義経はそう言って坂道を駆け下りて平家軍に襲いかかった、ということです。
私はまさにその舞台の須磨で育ったんですが、合戦があった一の谷からこの鵯越はかなり離れた場所です。
なので一の谷の上の「鉄拐山」が逆落しの舞台だという話もあり、当時はもっと海が山の方まで迫っていたのでこの鵯越が舞台だという説もあり、どちらが本当かは分かりません。
「鉄拐山」は中学のすぐ近くで何度も登らされました。
確かにあの坂から須磨の海岸まで一気に駆け下りたら敵はびっくりして逃げるだろうな、と思います。
あんなところ、馬で駆け下りるなんて正気の沙汰じゃない。
でも、鵯越も本当にきつい坂です。
町中から車でほんの10分か15分登っただけで、体感温度が一気に下るのが分かります。
私が仕事をしていた職場は神戸の港近くだったんですが、冬になるとこのあたりから奥の方がご自宅の方のところに電話がかかってきて、「雪が積もってるので車は置いて帰るように」と言ってくるということが何回もありました。
同じ神戸とは思えないぐらいです。
それぐらいきつい坂、こちらも確かに逆落しにぴったりの舞台だと思います。
さて、どちらが本当の舞台なんでしょう?
本当のところは分かりませんが、今の鵯越はやっぱり須磨からは遠過ぎるように私は思います。
ここの坂を駆け下りても、結局は続きに須磨の坂も駆け下りないといけないですし。
ひょとしたら、ここから須磨を通って一の谷まで、ずっとがその舞台だったかも知れませんね。
斎場までの2往復で、個人をしのぶのと共に、そんなことを考えていました。