先週亡くなった桂米朝さんの追悼番組を色々とやっています。
情報番組の一コーナーでもやっていますが、関西では特番が組まれています。
お昼にそのうちの一つを見ていたら息子であり弟子でもある米團治さんやその兄弟子のざこばさん、孫弟子で師匠の病気のために米朝さんの家に内弟子に入っていた吉弥さん達が米朝さんの言葉を紹介していて、それを書いておこうと思います。
これは私も米朝さんの書かれた本「落語と私」で読んだだけではなく、テレビなどでも見聞きしたことのある言葉なんですが、
「落語家をやるなら末路哀れは覚悟せえ」
というものがありました。
米朝さんのさらに師匠の先代米團治さんが米朝さんに、
「芸人は何か一つ生み出すわけではないのにこうしてお酒を飲んで生きていける、そのことをよく分かった上で落語家をやって見てくれる方にお返しするしかない、そのような生き方をするのだから末路は哀れなものと思っていろ」
というようなことをおっしゃったのだそうです。
「末路哀れ」というドキッとするような言葉を使っていますが、その真意は、どれほど売れたとしてもお客さんがあってのことだから、いつまでも謙虚な気持ちを忘れずにいろ、というような意味であろう、ということを今日も言っていました。
それと一緒に息子の米團治さんた並べて紹介していたのが、ある日米團治さんが米朝さんに聞いたことに対する返答です。
「士農工商河原者という言葉がある、河原者とは今の歌舞伎役者などを指すが落語家も河原者だろうか」
と聞いたところ、
「落語家はそのどこにも属さない、なぜかと言うと落語の中で天皇からそれこそ最下層の人間まで演じるのだからそういう階層に入るものではない」
と返ってきたのだそうです。
前述の「売れてもおごることなく謙虚でおれ」という言葉と同時に「芸人を卑下するのではなくプライドを持て」と両方が大事であると言っていた、との話でした。
これ、確かに両方が大事だなと思いました。
プライドを持ちながら謙虚である、これは結構難しい気がします。
特に芸能人は一つ何かがうけて売れたら、天狗になって何か勘違いしてるのでは?と思う人も多いです。
芸能人ではなくてもそういう人はいますよね。
妙にプライドだけが高くて他人を見下してるのになんだか卑しい人とか。
他に、
「悪い人間になるな、嫌われる人間になるな」
という言葉も紹介されていて、どの言葉も芸人としてだけではなく、人間としてどうあるべきか、を教えているなと感じました。
こんなことを教えてくれる尊敬できる存在、そういう方が身近にいたら、人としてやってはいけないことをきちんと身につけた人間になれる気がします。
それからざこばさんがおっしゃっていた、
「賢くなくていいからしょうもないことでも知ってた方がいい」
も分かります。
勉強だけできても知識がない人間より、広く知識を持つ人間であった方がいい、そういうことをおっしゃってるんでしょうね。
どの言葉も言った本人が矛盾するような、尊敬されない嫌われる人間だったら意味を持ちません。
おっしゃった米朝さん自身がやはり尊敬できる存在だったのだなあ、とあらためて思いました。