いっぷんにふんさんぷん、いっぽんにほんさんぼん

毎朝「ひよっこ」を楽しみに見ています。

前作が神戸が舞台なのに神戸らしくもなく、少し物足りなかったのですが、今回は毎日見ていて満足できるドラマなのではないか、と思います。

今朝は主人公が就職した工場が倒産して閉鎖されることになり、一人の女の子が閉鎖が悲しくて辛くて工場に立てこもる場面でした。

ここで、ちょっと気になることがありました。
ドラマとは関係のないことなので、これ以上ドラマについては触れることはありません。

主人公が立てこもった女の子のことについて心の中でつぶやく中で、

「何分かの短い時間」

みたいなセリフがありました。

この「何分」ですが、どう読みますか?
私は「なんぷん」です。

同じ時間を表す「分」でも、先につく数字によって読み方が違いますよね。
数字じゃなくて「何」がついても「ぷん」が言いやすいし、今までずっと使ってきたと思います。

それが、

「なんふん」

だったんです。

すごく気になりました。

なぜかと言うと、かなり前からテレビを見ていたらこういうことが増えてるんです。

たとえば同じように「何」がついた「本」を私は「なんぼん」と言いますが、テレビだと「なんほん」と言うようになりました。

すごく気持ちが悪いんですよね、こういう響き。
言葉って時代と共に変わっていってもおかしくないし、今までだってずっとそうやって変化してきたものだと思います。

例えば「新しい」は元々「あらたしい」だったのが「あたらしい」になったとか、「秋葉原」が「あきばはら」から「あきはばら」になったとか、いくつもそういうのがあります。

でもこれは、言ってるうちに自然にそうなった、言いやすいから変化していったんじゃないかと思います。
誰かが意図的に「明日から新しいはあたらしいと読もう」としたんじゃないでしょう。
今のテレビの「なんふん」「なんほん」は意図的で、なんだかすごく嫌なんです。

誰がそうやろうと決めたのか分かりませんが、自然じゃないです。

日本語の響きとして、自然に「いっぽん」「にほん」「さんぼん」「よんほん」「ごほん」「ろっぽん」「ななほん」「はちほん」「きゅうほん」「じゅっぽん」と使い分けてたのに、どうしてわざわざ「ほん」に統一する必要があるのか?
海外の人が日本語を勉強するのに難しいからですか?

日本語を勉強してる人が間違えて使うのは、それは全然恥ずかしいことじゃないし、間違えても当然、慣れるまではそういうことがあって当然だと思います。
でもね、それをどういう意図なのか、最初から「ほんで統一」と無理やりその言葉で放送するの、それはちょっと違うんじゃないでしょうか?

私が慣れ親しんだ関西での「かんとだき」が「おでん」になったり、そういうのって時代と共に仕方がないのかな、と思う部分もありますが、テレビで「ふん」や「ほん」のように無理やり統一していかれるのは、やっぱりちょっと怖いことです。

私が大好きな日本語を、テレビはもっと大事にしてほしい。
怖いことはやめてほしいと思います。