攻めるパン屋さんの「わさびごぼうパン」

今日は病院の日で早くに家を出ました。

今日行く病院はすごくいっぱいなんですよ。
なので7時半頃に着いてももう6番でした(笑)

病院の後、薬もらって買い物して実家に行ったら大体お昼頃。

「あ、ご飯持ってくるの忘れた・・・」

実家とマンション、両方でご飯を作るので、ご飯やおかずが行ったり来たりしてる我が家、昨日炊いたご飯の残りをお昼に父親と2人で食べようと思ってたのに持って出るのを忘れてました。

取りに帰ってもいいんですが、近いとは言えわざわざ寄って車を置いて部屋に戻って、は結構めんどくさいんです。

「どうしようかなあ・・・」

考えてたんですが、今日はちょうどパンを買いにいつものパン屋さんに行くことになってたので、お昼にお惣菜パンを買って行こうと思いつきました。
昨日、他のスーパーに入ってるパン屋さんで買ったパンも少しあるし、それに何か足せば十分お昼ご飯になりますから。

色々見てて、父親には1枚目の写真の「ローストチキンサンド」をまず選びました。

父親はそこそこ保守的なので、はずれがないパンをとりあえず選んでおく方がいい(笑)

さて、私は・・・

「何これ、見たことない」

ちょっとボケてしまいましたが2枚目の写真のパンです。

ソフトフランスの上?にごぼうっぽいのが入ってる。

「よし、私はこれにしよう」

私ははずれても珍しいのを食べたい(笑)

持って帰って父親に見せ、

「半分食べる?」

と聞いたら食べるそうです。

半分に切って分けて食べました。

「わさび味のごぼうサラダ?」

うん、おいしい♪
冒険してみてよかったな~

そもそも、ここのパン屋さんは毎月のように変わったパンを出してるんですが、時々、

「?」

みたいなのもあります。

そういや、真っ黒けの「クワガタパン」を出した時もそんな感じだったんですが、後にネットで話題になったなあ。
その後あっちこっちでも作るようになったようですが、発信源はおそらく私のお気に入りのここのパン屋さんです。

私も初めて見た時はかたまりました、

「真っ黒で生々しい、怖い、こんなパン食べる人おるの?」

って(笑)

今では夏の風物詩です。

「ああ、今年もクワガタパン出たな」

って(笑)

 

元町の「あかつき湯」 ~ひよこの聞き語り(31)

前回、幼い頃に記憶にあった「丸い湯船のお風呂屋さん」について書きました。

その時に、

「赤ちゃんの時に湯船に落とされた」

ことも書きました。

その「落とされた湯船」なんですが、私はずっとずっとその「丸い湯船」だと思っていました。

それが昨夜、お風呂に入って湯船でゆっくり考えてて、

「待てよ、ちょっと違うかも」

と、思い始めました。

昨日、父親とお風呂屋さんの話をしていて判明した事実があります。

それは、

「私が赤ちゃんの頃は、まだ伯母さんは元町の家に住んでいて花隈には引っ越してなかった」

という事実です。

びっくりしました。
物心ついた頃にはもう花隈の家だったので、てっきり私を連れて母が里帰りしていたのはそこだと思っていたら、元町の家だったからです。

父親が、

「赤ちゃんの時に行ってたんは一番近いあかつき湯やった」

と言うので、

「なんで元町のお風呂屋さんが一番近いん?T湯(丸い湯船のある銭湯)の方が目の前やん?」

と食い違いがあり、色々話してて判明しました。

戦時中、「上筒井」にあった以前の家を国か軍に「接収され」、次に引っ越すはずの家も神戸の空襲で焼けてしまいそのまま母たちは広島の「風早」に疎開、戦後帰ったのがどういうことでそこに住むことになったのかは分かりませんが、祖父が準備していた「元町の家」でした。

なので、古い話、私が生まれるずっとずっと前の戦争からつながった時代の話に出てくる家だと思っていた元町の家に、私も住んでたことがあるんですよ!
本当にびっくりしました。

「花隈の家」には、どうも私が生まれた後、妹が生まれるまでの間に引っ越したようです。
母が妹を生む時に私が預けられてた伯母さんの家は、間違いなく「花隈の家」でしたから。
写真もあります。

とにかく、私を連れて母が元町の家にいた時に、「あかつき湯」というお風呂屋さんに行ってたそうです。

「お風呂に行くのに垢がついて帰るのか、垢つき湯か」

みたいに誰かが冗談で言ったと聞いて、名前を覚えています(笑)

まだ赤ちゃんの私を入れるのに、そのお風呂屋さんのおばさんが、

「赤ちゃん、一番湯に入れてあげ」

と、まだ開店するより早くかな、とにかくそんな時間に入れてくれてたとか。

ありがたいですね、人情だなあ。

おそらく、「元町の家」に泊まった時とかは、そこに行ってたんでしょうね。
少し大きくなるまでそこに通ってた話があります。
あまり楽しい話ではないんですが。

もう私がそこそこ物心ついてたらしいので、産後里帰りみたいにしていた時ではなく、もう少し大きくなった頃、そこのお風呂屋さんに少し身体の不自由な子供さん、かな、がやっぱり通ってらっしゃったとか。
行く時間帯が一緒になることがしばしばあり、その時に、その方を見て私が泣いてしまうらしいのです。

大人だったらちゃんと分かるけど、多分1歳にもならない頃のこと、母もどうすることもできず困ってたら、その子供さんのお母さんが、

「ごめんね、でもなんもせえへんからね、ごめんね」

と、謝ってくれて、

「すごく申し訳なかったけど、どうしようもなくて」

と、言ってたのを聞いたことがあります。

そういう話を色々聞いてたので、

「じゃあ、私が落とされたのはあかつき湯やったんやなあ」

と、父親に言ったら、

「いや、それはまた違う」

と、父親が覚えてた!

私が落とされたのは、大伯母の料亭の近くにあった、もっと大きい銭湯だったそうです。
どうも父親も話を聞いて覚えてたらしい。
もう落とした人2人も、それを話してくれた母も亡くなってしまっているので、どこに行ったのか永遠の謎かと思ってたんですが、思わぬところから証言を得ることができました。

そこのお風呂屋さんは名前が分かりません。
丸い湯船のお風呂屋さんは友人に聞いて分かったので、今は知っていますが、そこもずっと分かっていませんでした。
でもやっぱり「垢つき湯」の冗談が一緒になっていた「あかつき湯」は覚えてました(笑)

今は、すぐ近くに通えるような銭湯はないんですが、時々、大きいお風呂でゆっくり手足を伸ばして入りたいなあ、と思うことはあります。
スーパー銭湯でも近くにあればなあ。
今度足を伸ばして行ってみようかな。

丸い湯船のお風呂屋さん ~ひよこの聞き語り(30)

父親のお友達に初孫さんが生まれたそうで、お宮参りの話から、うちのお宮参りの時の写真を見せることになりました。
えーと、見事に白黒写真(笑)

そんなことから昔の写真を父親と見てて、

「そう言えば、おばちゃん(一番上の伯母さん)の近所のお風呂屋さんに丸い湯船があったの知っとう?」

と聞いたら、知らないという返事。

「前に言うたけどなあ」

と、もう一度説明(笑)

私が子供の頃の記憶に「丸い湯船があるお風呂屋さん」がありました。
もう祖父母はずっと前に亡くなってしまっていたので、この伯母さんの家が母の実家みたいな感じで、私を産んだ時もここに里帰りしていました。

子供の頃、土曜日はまだ半日、お昼まで学校があったんですが、日曜日になるとこの伯母さんの家かその近くにある大伯母の料亭に行ってました。
なので半分は花隈や元町で育ったような感覚です。

伯母さんの家にもお風呂はあったんですが、ほぼ一人暮らしだったので掃除をしたり沸かしたりが面倒だからか、銭湯に通っていました。

私が勝手に思うことですが、さびしがりだから、社交的な意味合いもあったんじゃないかなあ。
ご近所の人とお付き合いはよくしてたので、あっちこっちで出会っては話してたような気がする。

大人になって、その「丸い湯船のお風呂」の話をしても、母も伯母(母のすぐ上の伯母さん)もいとこも、みんな「覚えてない」と言うんです。
その頃にはそのお風呂屋さんを一番知ってる一番上の伯母さんはもう亡くなっていたので、誰に聞いても不明のままでした。

長年そうだったんですが、社会人になってからできた友人が、たまたまそのお風呂屋さんの近くに住んでいました。

その友人のお宅が、たまたまそのお風呂屋さんのごく近所で、家風呂はあるんですが、大きいお風呂がいいからと毎日のようにそこに通っているんです。
これは、家族が減った今もそのようです。

友人とは長い付き合いになりますが、ずっとお風呂屋さんの話はしてませんでした。
私も年中覚えてるわけではありませんしね。

そしてある時、

「そう言えば○○さんの行っとうあのお風呂屋さん、私も小さい頃に行っとったことあるみたい」

てな話になり、

「その時に丸い湯船があったんちゃうかなと思うねんけど、家族はみんな知らん言うねん」

と言ったら、

「あったよ、昔あった」

と言われてびっくり!

だって、私がそこのお風呂屋さんに行ってとしたら、2、3歳ぐらいの時のことなんです。
確かにかなりちびだったみたいで、湯船に入ったら座ると顔が浸かってしまうので、立って入ってた記憶があります。

話を聞いてみると、どうもずっと昔、友人や私がまだ小さい頃に改装したか何かでなくなってしまったようですが、確かに小さい頃にはあった、そうです。

彼女とは、母が元町に住んでた頃は彼女のお母様も元町の比較的近くに住んでらっしゃったりして、思わぬところで接触があっても不思議じゃないという不思議な関係なんです。

それで母親にそれを話しても、「覚えてないなあ」でしたが(笑)

何にしても、数十年後に確かにそういうお風呂があった、ということが証明できてすっきりしました。

父親が言うには、そのお風呂に入ったことは、多分本当に幼い頃だろう、とのことです。
花隈に泊まった時とかには、大伯母の料亭近くにある、もっと大きい銭湯に行くか、料亭にある大きい客用のお風呂に入る方が多かったらしい。

まだ小さい頃は、伯母の家近くにある銭湯の方が、行きやすかったんでしょうね。
それに、私が小学校の半ばぐらいから、伯母さんは病気でよく入院とかしてたので、行っても世話してもらうようなことにはならなかったのかも。

そうそう、そう言えば、そのお風呂に私は落とされたことがあるんだそうです。

まだ私が赤ん坊の頃、母のすぐ上の伯母さんと、伯母の娘のいとことがまだ小さい私をお風呂に連れて行ってくれたらしいんですが、湯船に浸けようとして、

「あ!」
「あ!」

と、2人の目の前で湯船にどぼん!

どうしよう!と思うまもなく、

「あ・・・」
「あ・・・」

底についたのか、ゆっくりぷか~んと浮かんで上がってきたそうです(笑)

そのおかげか、運動は全般的にどれもできないのに、不思議と泳ぎだけはできるようになりました。
丸いお風呂のおかげ、かな?(笑)

シンプル初鍋

「ミリフィーユ鍋が食べたい」

と、クマ旦那さんから要望があり、土曜日に作りました。

今日、実家で食べるものを考えてて、

「そうや、お鍋にしよう、一緒には食べられないけどいいだろう」

と、父親と「水炊き」を食べました。

父親は「ミルフィーユ鍋」が好きではない。
クマ旦那さんは「水炊き」も好きだけど、今は「ミルフィーユ鍋」の方が食べたい。
ってことは、実家で「水炊き」すればいいじゃないの。

鍋物する時は3人揃った時がいいと、冬でもなかなかお鍋をする機会がないんですが、別でもいいんじゃないかな。
まあ、作る私がしんどいだけです(笑)

実家で2人分なので、ささっと準備出来ました。
早めに作っておいて、夕方時間が来たらさっと作ってさっと食べて終わり。

「今日はシンプルになったけどいいよね♪」

そう言って、父親と一緒に食べ終わりました。

そして思い出した・・・

「あー!糸こんと焼き豆腐忘れてた!」

今日のお鍋の具材は「カワハギ」「豚肉」「鶏肉」「白菜」「白ネギ」「エノキタケ」だったんです。
本当は「春菊」とか青菜類が欲しかったんですが、何しろお高い。

別に無理に入れなくていいや、と上記の具材を準備してたので、

「今日は種類が少ないシンプルなお鍋」

と、思い込んでたので、すっかり忘れてしまってました!

「そりゃ魚、豚、鶏、白菜、ネギ、エノキだけやったらシンプルやわ・・・」

もう食べ終わったので後の祭り(笑)

そこで、

「せっかく残ってるから明日もまたお鍋にしよか」

と、いうことになりました。

明日は忘れないようにしよう!(笑)

わたくしタケヨともうします ~ひよこの聞きがたり(29)

前回話した母の一番上の15歳年上の姉である伯母さんですが、戦争未亡人です。

大正生まれなんですが、どうも夫とは恋愛結婚だった、のかな。
旦那さんはとっても素敵な方で、ライバルがいたのに自分が勝って結婚した、と母に聞いたことあります。

ただ、

「結婚はしたものの、旦那さんはすぐに軍属で戦地に行き、ほとんど一緒に住んだことがないから本当に勝ったのかどうか」

とも母は言ってました。

伯母さんは母の兄弟姉妹の中でちょっとだけ毛色の違う人でした。

多分、祖父母の一番上の子供として生まれ、次の伯父さんが生まれるまでの間の7年を一人っ子のお嬢さんとして大事に育てられてたからなのかな。
さびしがりのちょっとわがまま、それで素直でないので、兄弟姉妹や他の人ともぶつかってりして、そこそこトラブルメーカー的な部分もあったようです。

母と親子ほど離れているせいか、私が物心ついた頃はもうそんな感じじゃなかったですけどね。
ひょっとしたら、長い間病気をしていたこともあるかも。

とにかく、後に夫になった方のことが大好きで大好きで、結婚する前だったか後だったか分かりませんが、まだ小さかったうちの母や下の叔父さんに、

「○○さん、お元気ですか」

と、手紙を何通も書かせていたりもしたようです。

その方を、結婚が決まったからかなあ、大阪の親戚の方に紹介した時のことを、母達から何回か聞きました。
そのおかげでその親戚の方とどういう関係で、なんていう名前の方かを忘れられなくなったんですが(笑)

その方は「タケヨさん」という名前で、母達の「ふたいとこ」にあたる女性です。
親戚の話は色々聞いても、名前と関係性をはっきり覚えてるのはこの方ぐらいかなあ。

ある時、その「タケヨさん」に伯母さんの結婚相手を紹介することになったんですが、伯母さんがものすごく緊張してしまい、

「こ、こ、こ、この人ね、わ、私の、お、お父さんの、い、い、いとこの、子供ですねーん!」

みたいに紹介してしまったのだとか(笑)

大好きな婚約者(まだ多分結婚してなかったと思うので)にこんな風に言ってしまったからか、その後で照れ隠しみたいに、

「あはは、あははははー」

と、また大きな声で笑ってしまった伯母さん、ちょっとかわいい(笑)

そうしたら、今度は紹介された「タケヨさん」が、まるでお茶かお花か小笠原流の師範でもあるかのように、

「わたくし、タケヨと申します・・・」

と、三指を突いて、非常に丁寧に上品に自己紹介して、2人の対比がそりゃもう・・・(笑)

そのことを、母の上の伯母さんと母と叔父さんの3人で、何かの替え歌なのかな、こんな風にして笑って伯母さんの前で歌ったりしてたんだそうです。

「わたくしタケヨともうします~おと~うさん、おと~うさんの、いとこのこどもでございます~わははのわははのわははのは~」

ちょっと確実にしっかり覚えてませんが、なんかこんな感じ(笑)

その2番か進化系か分かりませんが、アレンジもあって、

「この人、このやつ、わたくしの、おと~さん、おと~さん・・・」

みたいなのもありました(笑)

ちびども3人が前でこの歌を歌うと本気で怒ってたそうですが、想像すると笑ってしまう(笑)

ただ、それほどの大恋愛だったのに、結婚しても上に書いたようにほとんど一緒に住んでいなくて、生まれた娘も赤ちゃんのうちに一度お父さんに抱っこしてもらっただけで、ボルネオで亡くなったそうです。

最後までさびしがりで、甘えたで、愛すべき伯母さんでした。
長女なのに、兄弟姉妹みんながこの伯母さんの保護者みたいに私には見えてました。
今はあちらで大好きな伯父さんと仲良くできてたらいいな、としか。