登校拒否になった母 ~ひよこの聞き語り(6)

今日は母の学校の話をしたいと思います。

私の母は戦前の生まれで、子供の頃に終戦を迎え、戦後の混乱期に青春時代を過ごした世代です。
団塊の世代よりはちょっと上、ですね。

その母が、

「私は学校全部、入ったのと卒業したのが違う学校」

と言ってました。

母はごく普通に小学校(尋常小学校)に入学したんですが、途中でそれが「国民学校」になったので、卒業したのは「国民学校」でした。

「国民学校」を卒業後、疎開先で「高等女学校」に入学しましたが、戦後女学校が男子の学校と併合で「新制高校」になったため、移行する形でそのままその高校に通って高校生になりました。
その後神戸に帰ることになり、卒業は神戸の違う高校でした。
なので入った学校と出た学校が全部違う形になったわけです。

今は小学校から中学校、中学校から大部分が高校、そこから専門学校や大学と進むわけですが、当時はもっと色々選択肢があったようです。
母は女学校でしたが、「尋常小学校」の上に2年の「高等尋常小学校」があり、そっちに進む人もいたそうです。

とにかく、戦争の影響で学校の呼び名やシステムが変わったことと、疎開したことでそういうことになったわけです。
戦争がなかったら、そのままずっと神戸の学校だったかも知れません。

小学校卒業までは、今でもある普通の転校と同じような感じですが、色々あったのは「高等女学校」から高校になる時です。

母の行っていた学校はそこそこ良い学校だったんだそうです。
ですが、併合になる近くの男子の学校が、母が言うには「あまり良くない学校」だったため、「レベルが下がるのはいやだ!」と、学生がみんなでストライキをしたのだとか。

「学校ではなく近所のお寺に集まって、そこでみんなで授業を受けた」

のだそうです。

一部、学校関係者の娘さん達(校長先生の娘さんだったかなあ)だけは気の毒にも学校に登校しなくてはいけなかったそうですが、教師も含めて学校がそのままお寺に移動したような形でそれなりに楽しかったとか(笑)
そうやってがんばりはしたんですが、戦後の日本で全部のシステムが変わったせいなので、一部の人間だけががんばってもどうにもならず、その後結局は一緒になって「新制高校」になったのだとか。

「結局はそうなるのは分かっていたけど、みんなで意思表示だけはしよう」

と、そうなったらしいですが、すごいですよね。

ただ、そうして抵抗はしたものの、いざ共学になると、

「とても楽しかった」

のだそうです(笑)

そうして高校生活を楽しんでいた母ですが、今度は疎開先から神戸に戻ることになりました。

神戸に戻り、一度は公立高校に編入したもののどうにも合わなくて、一週間通っただけで、

「広島に戻りたい!」

と、登校拒否、どうやっても転校先に行かないとがんばったんですが、祖父が、

「家族で暮らせるようになったのに一人だけ戻すわけにはいかない」

と認めてくれなかったのだとか。

それでもどうしても戻りたいと色々と話し合いをし、

「それじゃあとりあえず、姉2人が行った私立の女子高に行き、それでどうしてもだめだったら広島に戻すことも考える」

という話になり、

「それじゃあ行くだけ行ってみる、だめやったら戻るから」

と行ってみたら、まあその学校が楽しくて、

「結局卒業まで通ってしまった」

のだとか(笑)

祖父の作戦勝ちですか?(笑)

それでも広島の同級生達とも手紙をやり取りし、お互いに行き来もしていたらしいのですが、仲が良かった同級生が結核で亡くなった後、段々と連絡をとらなくなっていったそうです。

母が持っている卒業アルバムはおば達と同じ神戸の私立高校のものですが、写真を見るだけでも楽しそうです。
私の高校時代より充実してるような気がするなあ。

一番思うのは、時代的なものかも知れませんが、

「みんなずっと大人」

だということです。

卒業の寄せ書きにしても、私の時代よりもっときちんとしてる気がします。
文章も内容も、みんな本当にしっかりしてる。

ひょっとしたら、いや、ほぼ確実に、いい年になった今の私より、当時の母達の方がしっかりしてます。
今は全体的に若くなった分、みんな子供な気もします。
いい点も悪い点もありますけどね(笑)

ただ、当時、明日死ぬかも分からない時間を過ごした分、青春時代は輝いてたんだろうなあと思います。
もうそんな時代は来てもらいたくないですけどね。
戦争のない時代に生まれただけでも、私達は幸せなんだろうなあ。

祖母と闇市 ~ひよこの聞き語り(5)

今回も母方の祖母の話です。

祖母は大層な働き者だった、という話を以前(祖母のこと(1))書きましたが、戦時中か戦後か分かりませんが、祖母は闇市で商売をしたことがあったそうです。

ずっとなのか、その時だけなのかは分かりません。
確かめようにももう覚えてる人もいませんし・・・
ただ、母から「こんなことがあった」と聞いたことがあるので、そのことを書こうと思います。

当時の母の年齢から、おそらく広島の竹原に疎開していた頃のことだと思いますが、祖母は「塩あん」のおまんじゅうを作って闇市に売りに行ったことがあるそうです。

「塩あん」とは、物のない時代のことで、小豆なのか他の豆類なのかは分かりませんが、それであんこを炊いて、砂糖の代わりに塩で味付けをしたものだそうです。

「え、甘くないあんこなんておいしいの?」

と聞いたら母が、

「物のない時代だったから、そんなおまんじゅうでもよく売れたらしい」

と教えてくれました。

そうして儲けたお金で祖母は母に「豚革の靴」を買ってくれたんだそうです。
もちろん買ったのは闇市ででしょうねえ。

広島の親類(一番上のおばさんの嫁ぎ先)に疎開させてもらってとりあえず食べる物はなんとか食べられる中、そういう物はやはり不足していたんでしょうね。
祖父は神戸に残って仕事をしていたけれど、その時のお給料とか仕送りとかがどうなってるかまでは分かりません。
ただ、「ぜいたく品」を買うにはお金が足りなかったのじゃないか、と思われます。

「買ってもらってすごくうれしかった」

と母は言ってました。

当時は本当に物がなく、紙製の靴とかもあったと聞いたような気が・・・
そんな中、本物の豚革の靴、それはうれしかったことでしょう。

他の兄弟姉妹にも何かを買ったのか、その時は母だけだったのかも分かりませんが、とにかく新しい靴、ものすごくうれしかったようで、何回もその話を聞きました。

子供の頃に聞いた時は「へ~」ぐらいだったんですが、大人になっていくにしたがって「おばあちゃんすごいなあ」と思うようになりました。

闇市なんて怖いですよ、どんな人がいるか分からないし。
そんな中、神戸から来て親類に身を寄せながら、手に入る材料を工夫して食べさせるだけじゃなく、お金儲けをして子供に少しでも不自由をかけないようにしてやりたい、そう思ったんでしょうね。
一応は奥様で、戦争がなくて神戸にいたら、そんな商売しなくて済むような人が、よく思いついたと思います。
そんな祖母を、私はすごく尊敬しています。

埼玉銘菓「五家寶」「松籟」

今日は埼玉のお友達から写真のようなものをいただきました。

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「五家寶」

と書いて「ごかぼう」と読むのだそうです。

味は、外にまぶしてあるきなこの味がまず口にあり、中身が、なんて言うんだろう、粘らないヌガーみたいな感じ?
品のいい甘さで、噛み切るとしっかり切れるのに粘りがある、そんな不思議な食感です。

なんか大好きです!(笑)
初めて食べたけど、これはそのうち自分でもお取り寄せしてしまいそうな、そんな感じ。

手で持ったらしっかりした感触だったので、これは中身が固いのかなと思ってたので噛んだ時にびっくりしました。

白いのが「五家寶」青いのが「松籟(しょうらい)」で、「松籟」は「青大豆、和三盆、オリゴ糖などを使った究極の五家寳」なんだそうです。
う~ん、どっちもおいしい。

何かあったらおつかいものにしておいしさを布教したい、そのぐらい気に入ってしまいました(笑)

暑い一日でした

今日は暑かったです。

朝、出かける時に長袖の上から薄いジャケットを着て出たら、車の中で煮えそうに(笑)

買い物をして、実家に着いたら家の中はそれなりにひんやりして気持ちがいい。
ここだと長袖でちょうどいいぐらい。
もうちょっとしたら、また暑くて暑くてたまらない季節が来るんでしょうね。

被災地は雨で大変だったみたい・・・
でもこれで、少しでも温かくなって楽になってくれたら、と思います。
この季節に車に霜がついたりするぐらいだったらしいですから。

今日で一週間、これでもう本当に落ち着いてもらいたいものですね。

筆記具がいっぱい・・・

今日は家にいられる日だったので少し片付けをしてました。
あまり一度にすると気持ちも体も疲れるので、少しだけの時間と決めて手をつけたので本当に少しですけどね。

余裕があったので使わない筆記具を入れてるカゴに手をつけたら、今まで盛り上がっていた気分が盛り下がってしまいました・・・

「自分では使わない、けど捨てるのは・・・」

そのレベルの筆記具がいっぱいあるんです。

今使ってる筆記具は本当に決まった数だけ。
学校に通ってる間はよく使いますが、今は本当に使わなくなりました。

思い出のある物はもちろん手放せない物があるんですが、そこまでじゃなくても捨てられないのが多い。

どこかに寄付しようかと言ったらクマ旦那さんが、

「寄付しようしようと考えると疲れるから、もういっそ思い切って捨てたら?」

と言うんですが、それができれば・・・

ああ、捨てるって本当にむずかしいです。