一瞬だけ!

8月31日からもうすぐ9月に変わる寸前にケガをして、右手親指の付け根を「剥離骨折」してしまいました。

あれからもう半月。
早いですねえ、あっという間・・・

普通の捻挫とかだったら、もうそろそろ治ってきててもいいようなものですが、ポキっと折れてなくてちょろっと剥がれただけでも一応「骨折」と名前がついているせいか、まだまだ完治には遠いようです。

そうは言っても、普段はほとんど忘れてます。
真っ青だった手の平も普通の色になってきましたし、まだ色が変わってる部分は包帯で隠れてますし(笑)

ただ、何かのはずみにぶつけたりしてしまうことがあるんですよね。
固定して、右手親指が伸びてるせいもあるんでしょうが、時には反射的に右手が出てしまったり。

そういう時、

「いっ!」

もうね、痛いのなんの・・・
直で骨に響いている感じです。
その一瞬だけ涙が出るほど痛いんです。
その一瞬以外は痛くないもんで、なんだか色んなことにさぼってる気がして気持ち的にもへこみます(笑)

「全治4週間から6週間」

と先生に言われて、

「そんなにかかるんですか!」

とびっくりしたら、

「骨やからね」

と言われた意味がぶつけた一瞬だけよく分かります(笑)

それでも、もう2週間過ぎました。
もうちょっとで半分だー!
早く治りますように。

田舎のニュースは早い~ひよこの聞き語り(41)

うちの母親は戦時中から戦後にかけて広島の「風早」というところに疎開をしてました。
ここではもう何回も書きましたが(笑)

戦後、女学校に進学した母親は汽車で「竹原」へ通うことになります。
「電車」じゃなく「汽車」ですね、当時は。
トンネルに入ると鼻の穴が真っ黒になるあの「汽車」です。

時間がどのぐらいかかったか、とかは聞いたかも知れませんが忘れました。
たしか、本数が少ないのでかなり早く学校に着いていた、みたいなことは言ってたかな。

帰りも同じで、逃すとかなりの時間、次が来ない。
それでほぼ毎日同じ時間の汽車で通学していました。

当時疎開して住んでた家が、ちょうど駅から遠い場所だったそうです。
三角形の頂点が家で、下の角2つが駅、みたいな感じ。

「2つの駅の真ん中ぐらいで停まってくれたら近かったのに」

ありますね、そういう位置って。

それで、いつも真ん中あたりにあったらしい鉄橋を通り越し、次の駅に着いたら来た方向まで歩いて帰ってました。

ある日、その鉄橋あたりで、

「ガタン!」

と汽車がいきなり止まった。

何事かと思っていたら、

「鉄橋で小学生が轢かれた」

そう言ってみんなが騒ぎ出した。

そうしてるうちに、

「轢かれたのは◯◯って子だ」

と。

その「◯◯」という名字、母の旧姓です。
そんなにたくさんある名字じゃありません。
特に、田舎って親戚とか同じ名字の人が多いけど、そういう名字じゃない。

母は血の気が引いたそうです。
母の弟、今高松に住んでいる叔父さん、その叔父さんじゃないかと汽車を飛び出して鉄橋のところに走って行ったそうです。

行ってみたら男の子が一人倒れて亡くなっていました。
顔を見たら叔父さんじゃなかった。
額の真ん中に大きな穴が空いてたそうですが、きれいな姿で亡くなっったそうです。
たまたま同じ名字だったけど他人でした。
何か、商売をしてたお宅の子供さんだったそうです。

思えば、母のご先祖は元々広島の浅野藩の人です。
それを考えたらあっても不思議ではない、場所が広島ですから。
名字から考えても、ないことはない名字です。
神戸にも縁のないことはない名字ですが、多分広島つながりの名字だったんでしょう、今思えば。

ほっとした母は、そのまま鉄橋から降りて家に帰りました。
何しろ近いですからね。
いつもだったら汽車が駅に着き、またぐるっと戻って帰らないといけない。
直線に近かったらしく、かなり早く帰れたんだそうです。

すると、

「汽車に轢かれて男の子が亡くなったって」

と、もうみんな知っていてびっくり!

今と違って電話もそうありません。
ある家に行って、借りてかける時代です。

いつものように駅まで行き、ぐるっと帰ってきたならまだしも、母は事故が起きて割とすぐにびっくりして飛び出して現場に行き、そこからまっすぐ帰ってきました。

その母よりも、

「話の方が先に届いててびっくりした」

と、話してました。

よく、田舎のニュースは早く広がるって言うけど本当なんですねえ。
おそらく、同じように汽車に乗ってた誰かが母より早く同じように戻ったんでしょうが、それにしても早かった、と言ってました。

今はみんな携帯を持っててすぐにそれで写真を撮ってアップしたりしますが、携帯がなくてもやっぱり「噂には足がある」ですねえ。

父親の「ピンとこない」開戦と終戦~ひよこの聞き語り(40)

来週の日曜日が最終回になりますが、ドラマの、

「この世界の片隅に」

を楽しみに見ています。

有名な作品なのでご存知の方も多いですよね。
アニメの映画になった時、舞台が「呉」ということで興味を持ち、映画館で見てきました。
母が、ちょうどこの作品の時代に「呉」と近い「風早」に疎開していたからです。
面白い映画でした。
その後原作の漫画も買って読みました。

映画と原作があまりに面白かったので、ドラマはどうなるかと見てましたが、これもやっぱり面白い。
小説、漫画、アニメ、ゲームとかの実写化を嫌がる方もいらっしゃいますが、私は別物として見る方なのでこれもドラマとして面白い、と素直に思いました。

そのドラマで先週は終戦の日のシーンがありました。
みんなで集まって「玉音放送」を聞き、主人公の「すずさん」が「納得できない」と激高し「最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!」と、失ったものを思って泣きます。

「終戦の日」って作品によって色々な描き方がありますね。
今回はそういう感じでしたが、このドラマに出ている「尾野真千子」さんが主演だった朝ドラ「カーネーション」ではヒロイン「糸子」は放送を聞き終わった後「さ、お昼にしよう」とご飯の支度をしに行きます。

私の母の場合、多分この放送を聞き終わった後じゃないかと思うんですが、祖母が母達に、

「進駐軍が来たらお母さんはあんたらを殺して自分も死にます」

と言ったらしい。

もっともその後、すっかり状況に慣れて片言英語で「アメリカさん」とも堂々と対峙してたらしい祖母ですが(笑)

父親の終戦の日のことは「終戦の日らしくない父の終戦の日 ~ひよこの聞き語り(13)」に書きました。

父親は今の愛媛県八幡浜市で生まれて育ち、二十歳過ぎに神戸に出てきました。
戦争はその子供時代のことです。

その日、まだ子供だった父は、朝早くから友人達と海に泳ぎに行き、海から上がって映画館に映画を見に行ったそうです。
行ってみたら映画館が休みで、どうして休みなのか聞いたら「戦争が終わった、日本が負けた」と聞き「嘘つけ~」と家に帰ったら本当だった、と。
ちょっとネタみたいな、のんびりした終戦の日を迎えたんだそうです。

それで父親にふと聞いてみました。

「玉音放送は聞いてないよね、海におったし」
「聞いてないなあ」

やっぱり(笑)

田舎だし、世間で言うほど食べ物にも不自由してなかったみたいだし、終戦の日はこんな感じ。
ちょっとドラマとかで見るのとは違いますね。

そして続きにこれも聞いてみました。

「開戦の日はどうやったん?」

こういうことらしい。

「その日は訓練か何かで朝早くからみんなで登山か何かに行ってたから戦争が始まったの知らなかった」

そっちもかー!(笑)

「なんか、あれね、いざ!って時にはずしてるよね」

と笑った(笑)

それでも父の兄弟は2人戦死してます。
1人はビルマのインパールで、もう1人は潜水艦で。
そのどちらも実際に亡くなったのを見たわけではないし、遺骨も戻ってきてない。
ある意味やっぱり「ピンとこない」状態です。

開戦も「ピンとこない」、終戦も「ピンとこない」、戦時中もほとんど影響なくて言うほど「ピンとこない」、うちの父親の戦争はどうもこんな感じらしい。

映画やドラマでは型にはまったように開戦に大騒ぎし、終戦・敗戦に呆然としと描かれてますが、まあ色々な人がいるんですよね、やっぱり。

911

昨夜寝る時、

「あ、明日は9月11日、何かあった気がするけど思い出せない、何だったかなあ・・・」

そう思いながら寝ました。

朝、ニュースで思い出した。

「そうか、あのテロの日か・・・」

ひどい事件でした。
そして今でも続いてます、色々な意味で。

あの日、部屋でメッセンジャーで友人H氏と話をしていました。
そうしたらH氏が「飛行機がビルにぶつかった」と。

最初は単なる事故、「単なる」と言っては申し訳ないが事故だと思ってました。
怖いねえ、どうしたのかな、と話してたけどなんだかどんどん話がおかしくなってきた。

部屋にテレビがなかったのでネットで何か見たりしたけどよく分からない。
そのうち下の部屋から母親が「アメリカですごいことになっとう」と声がかかったので、H氏に「テレビのある部屋に行く」と言って会話を切り、階下へ。

信じられませんでした。
その後のことは説明する必要もないでしょう。
みるみるビルが2つ崩れ落ち、数えきれないほどの人が犠牲に

そんな日だったのにすっかり忘れてました。
全然思い出さなかった。

忘れちゃいけませんね、覚えてないといけません。
自分に、今のところ直接関係ないからって忘れてはいけない、あれは。
もう忘れません。

びょういんびょういんびよういん

今日は朝一番から半年に一度の脳外科の日でした。
MRI検査を受けに行きます。

9時頃に病院に着いたんですが、今日は混んでて会計とお薬まで終わったらもう11時過ぎてました。
この病院でこんなに時間かかるの珍しいんです。

買い物して問屋さんに荷物取りに行きって一軒だけ小さい配達して実家に着いたらもう12時半近かった。

思い返せばここのところ朝から病院ばっかり行ってる気がします。
9月に入ってから何回行ったか・・・

1日:ケガして朝から外科初診
3日:父親の2週間に一度の病院
5日:お昼前から歯医者
6日:朝から父親の年に一度の心臓外科
8日:朝一番から外科

そして今日です。
この10日でもう6回病院行ってる。

そして今週もまた病院続きです。

10日:私の半年に一度の脳外科
11日:父親の三週間に一度の病院
14日:午後から歯医者
15日:父親の2週間に一度の病院

が控えてます。
半月で9日病院って(笑)

まあね、こう重なるのも珍しいです。
年に一度とか半年に一度がね。

この先もまだ外科と歯医者が続き、もう一軒予約入れないといけないので後少なくとも自分が3回以上、父親が1回か2回あるので一ヶ月で14回か?(笑)

それと先週の月曜日は髪を切りに美容院に行ったので、

「なんか病院と美容院しか行ってない」

と笑ってたんですが、父親が、

「今週、お天気とかの都合で散髪に行きたい」

と言うもんで、

「それもまた美容院の親戚やん」

とまた笑いました(笑)

クマ旦那さんはまだ散髪もう少し先だけど、巻爪の病院に行かないといけないみたい。

今月は2日に一度「びょういん」か「びよういん」に行ってる計算になりました(笑)