妹が来てくれて連休に

今日はお昼から出かける予定がありました。

「出かけるまでに父のご飯してそれからあれしてこれして」

と、色々考えてたんですが、

「お彼岸でお参りに」

と、妹が来てくれて、父親の今日と明日のご飯をしてくれました。

本当に助かります。
今は特に、まだ右手が使えなくてご飯が作れないので、買ったおかずやお弁当ばかりじゃなく手作りのご飯を作ってもらえてうれしいです。
お米もとげないので無洗米使ってますし。

おかげさまで、朝からちょっとゆっくりしてから出かけられました。
明日も日曜日でお休み、なんとなく連休っぽいお休みとなりました。

さすがに3連休は無理ですが、2日続けて実家に行かないことは本当に珍しいのです。
続けて父親の顔見ないと心配なんですが、今日は妹が来てくれてたら、出かけてもすごく安心できます。
本当にいいお休みいただけたなあ、ありがとう。

あいたた最中

昨日は私はお休みの日で実家には行かなかったんですが、その間にいとこが来てくれてお供えにお菓子を持って来てくれたようです。

う~ん、ここのところいとこが来るのが早く、お返しを準備してないとか、私がいない時に来てしまう。
次回は負けないようにしようと思ってますが、はて、そんなに早く準備しておくものでもないし、とちょっと困っております(笑)

今回持って来てくれたのは写真のお菓子です。

「あいたた最中」

加古川に「鶴林寺」というお寺がありまして、そこの仏像「あいたた観音」にまつわる伝説を元にしたお菓子です。

昔々、観音様を盗んだ泥棒が溶かして金属にして売ろうと思っていたんでしょうね、溶かそうとがんばったんですがどうしても溶けず、腹立ち紛れに観音様を蹴飛ばしたところ「あいたた」とおっしゃったのでびっくりしてお寺に返した、そういう話があるんだそうです。
そのお話にちなんで「あいたた最中」というお菓子を作ったとか。

模様は観音様の腰のあたりで、泥棒が叩いたので少し腰が曲がっているのだそうです。
面白いですね。

味はもちろんおいしい最中です。
食べても痛くはなりません(笑)

ところで、多分昭和の時代、この鶴林寺だったと思うんですが、やはり仏像を盗んだ犯人がいて、4人組だったんですが、次々と仏罰に当たってひどいことになり、とうとう最後の一人が仏像を持って自首してきた、という話を聞いたことがあるんです。
今回調べてみたんですが、出てこなかったです。
う~ん、他のお寺だったのかなあ、新聞とかにも載ったと思うんですが、あまり記憶がはっきりしません。

「鶴林寺」は「かくりんじ」と読むんですが、子供の頃、遠足で行ったか何かの時にまだ小さかった妹が「つるりんじ」と言い、それ以来我が家では「つるりんじ」と呼んだりしてて、ある時「つるりんじでこんなことがあったらしい」と話をした覚えがあるんですけどねえ・・・
覚え間違いかなあ。
それとも、「あいたた観音」と何かの話が混じっているのかな?

なんにしても、仏像を盗むような犯人、さらに溶かして金属にしてしまおうなんて罰当たりはちょっとびっくりさせないとだめかも知れませんね。

竹やぶを抜けると・・・ひよこの聞き語り(44)

母親の疎開時代の汽車にまつわる話をいくつか書きました。
それでもう一つ思い出した話があります。
正確には汽車は直接関係ないです。
汽車を降りて家に帰るまでの間の出来事、通学路での出来事ですが、汽車を降りた時の母の気持ちを考えると、なんと言っていいものやら・・・(笑)

「田舎のニュースは早い~ひよこの聞き語り(41)」で、母が住んでいた家の位置が「駅と駅の間」と書きました。
家の位置を通り越し、次の駅で降りて戻るわけです。

その戻る道ですが、田舎なのでもちろんさびしい道です。
同じ汽車で降りて同じ方向に帰る人がいたらお連れさんがいるわけですが、いなかったら一人でさびしい道を歩いて帰ることになります。

途中、竹林を抜けると一軒の家が見えてきます。
ある時、その家のおばあさんが亡くなりました。

知っているおばあさんではありますが、母とは親戚でもないし、普通に学校に行き、普通に授業を受け、普通に帰ってきました。

駅を出て、いつもの道をいつものように帰ってきたのはもう夕方だったらしいです。
女学校の授業が終わって帰ってくるんですから、まあそのぐらいにはなるでしょうね。

竹やぶを抜け、いつものようにその一軒の家が見えてきた時、誰かが座っているのが見えてきました。
うちの母親は結構きつい近視でした。
多分、その頃はもう近視だったと思うんですが、メガネをかけていたかどうかはではちょっと分かりません。
分かりませんが、遠くがはっきり見えてはいなかったと思います。

誰かが座っているのは分かったけど、誰かは分かりません。
どんどん歩いて家に近づき、その人が誰か分かって腰を抜かさんばかりに驚き、転がるように走ってその場から逃げました!

座っていたのは、亡くなったと聞いていたはずのおばあさん!!!

これは怖い!
竹やぶを抜けて、ぼんやりと見えてきたのが亡くなったと聞いたはずのおばあさん!
私だったら泣きながら腰を抜かすか気絶するかも。

家にたどり着き、亡くなったはずのおばあさんが!と言って、理由が分かりました。

当時、今と違って亡くなった方を入れるのは「座棺」と言って、時代劇とかで見る桶のような丸い棺だったんです。
その棺に入れるのに、亡くなったおばあさんを座らせて布団で巻いたんですね。
死後硬直が始まる前に、そうして型をつけておいたんだそうです。
母が見たのは、その姿だったんですね。

いやいやいや、実物の遺体も怖いって(笑)
なんで外から見えるところにそんな形で(笑)

それからしばらくの間、とても一人では帰れず、誰だったかな、誰か知ってる方に一緒に帰ってもらうようになったらしいです。
うん、そりゃそうだ(笑)

その道しかなくて仕方なかったらしいけど、私だったら学校行けなくなってたかも知れません(笑)

山の上まで進駐軍~ひよこの聞き語り(43)

「パパは進駐軍見たことあるん?」

ふと思いつき、今日父親にこんなことを聞いてみました(笑)

だって、母親の話にはちょこちょこ出てきてたんですよ、進駐軍。
元町に住んでいたからか、家のところに座っていたら話しかけてきたとか、靴を履いたまま間違えて家に入ってきたとか、父の職場に行ったらコーラを出してくれたとか。

ですが、父親の話に進駐軍が出てきたことは多分ないと思います。
そもそも住んでたのが田舎で、戦争が始まったり終わったのすら後から知ったような環境です。
そんな環境に進駐軍なんか来てたとは思えない。
失礼な言い方ですが(笑)

そうしたら、

「あるある」

と、思わぬ答えが!

「それは神戸に来た後?神戸に何年に来たんやったっけ」
「来たのは27年やけどいなかでも見たことある」

ええっ、そうなん!?
すごくびっくりしました。
まさか、あんな山の上にまで進駐軍が?

「何のために来たんやろ、あんなとこまで来て見るもんある?爆弾とか落としても弾の無駄遣いになるようなとこ・・・」

と言ったら父親が笑ってました(笑)

「なんでか分からんけど山の上まで見てまわってた」

らしい。
まあ、とりあえずどんな場所でも調べないといけなかったのかも知れませんね。
どこかに何かを隠したりしてるかも知れないし。

そういうわけで、もちろん神戸に出てきてからも見てますが、いなかにも進駐軍はやってきてたらしいです。
山の上に登っただけ、らしいですが(笑)

「キグチ」を持って汽車から落ちる~ひよこの聞き語り(42)

前回(「田舎のニュースは早い~ひよこの聞き語り(41)」)で「風早」に疎開中だった母が汽車通学をしていた時のエピソードを書きました。

今回も母が汽車に乗ってた時のエピソードなんですが、疎開先のことだったのか、神戸に戻ってからのことだったのかちょっと忘れてしまいました。

エピソード的には疎開先での出来事っぽいんですが、当事者が母が神戸に戻ってからのお友達っぽいのでちょっとはっきりしません。
う~ん、妹が覚えてないかなあ。
今度聞いてみるか

笑い話に近いですが、下手したら大事故になってたかも、という話。

戦時中のドラマを見てると持ち手のところが木でそこに布を縫い付けたようなバッグ、見覚えありませんか?

「木口バッグ」

というバッグです。

調べてみたら始まりは昭和15年(1940年)の婦人雑誌からみたいですね。
今回調べるまで知らなかった。
文字通り、木を削って作った持ち手に布を縫い付けたバッグです。
戦時中から戦後まではやったようで、今もあるのはあるみたいですが、普通のバッグほど見かけたりはしませんね。

母も当時通学とかにこのバッグを持っていたそうです。
なんか、他のバッグも持ってたように聞いた気がするんですが、なんにしても通学バッグ以外にもサブとして持ってたりしたのかも。

そのバッグを持って汽車で通学していたのは母だけではありません。
大部分の女子学生が同じようなスタイルで汽車通学でした。

田舎の汽車は本数が少ないです。
乗り遅れると次まで何時間もあったり、場合によると翌日までなかったりする。

ある時、みんなで汽車に乗って出るのを待っていたら、お友達が一人、

「待って待って」

と、動き始めた汽車を追って来た。

「はよ、はよきんさい!」

みんなでゆっくりと動き初めた汽車の後ろからそのお友達を呼んでたら、走りに走って汽車に追いつき、「やあ!」とばかりに汽車の後ろのデッキ部分に飛び乗った!

飛び乗ったのはよかったんですが、そのお友達、両手にその「木口バッグ」を持ってたんです。
飛び乗ったものの、両手にバッグ、汽車のどこかにつかまることができず、そのまま後ろに倒れて落ちてしまった!

「危ない!」

みんなの目の前で汽車から落ち、線路の上に仰向けに倒れたお友達、少しすると立ち上がって線路の上、なんとか大ケガするすることなく無事だったようでみんなでほっとしたそうです。

無事でよかった。
「恥ずかしかった~」で終わった笑い話になってますが、下手をしたら頭を打って命を落としてたかも知れません。

もしもバッグの持ち手が「木口」じゃなくて腕にかけていられたら、空いた両手でどこかにつかまって落ちることはなかったかも知れません。

流行の服装で健康を害したり命を落とす。
当時は流行と言ってもそれしかなかったわけですが、なんとなく今でもありそうなことだなあと思ってしまいました。

ななめ掛けバッグだったら両手が空いてよかったけど、「木口バッグ」の方がかわいかったのかも。
乙女心だなあ。