「ひよこの聞き語り」カテゴリーアーカイブ

祖母と婚約者 ~ひよこの聞き語り(3)

先日(「とと姉ちゃんを見て祖父を思う」)と昨日(「祖母のこと(1)」(レースの手袋と祖母に改題))で祖父母のことを書かせていただいたんですが、これからはまとめて「ひよこの聞き語り」として書いていこうと思います。
なので順番として、前のを(1)と(2)として、今日から祖父母達のことを書く時は(3)(4)と続けていくことになります。
どうぞよろしくお願いします。

さて、せっかくシリーズ化(笑)したので、昨日と続けて祖母のことを書きたいと思います。

祖母は、昨日も書いたんですが、神戸で生まれ育ちました。
その後、私の母方の兄弟姉妹も、途中で疎開や学校などで離れることはありましたが、基本的には神戸の生まれ育ちです。
私の代で三代目なので、江戸っ子と同じく一応神戸っ子になりますか。
今は市としては神戸からちょっと離れてしまってるんですが、活動地域が半分神戸ということと、本籍地は神戸のままなので今でも神戸っ子を名乗っておりますが(笑)

祖母はおそらく5人姉妹の下から2番目か3番目、と昨日も書きましたが、そのへん私はちょっとよく分かりません。
祖母の一番上の姉と下の妹は私も直接知ってるしかわいがってももらったんですが、祖母を含めた中のおそらく3人は、私が生まれるずっと前に亡くなってしまってるからです。

それに、何しろ母が一番上の伯母とは15歳も離れているし、祖父母ともそう長命ではなかったので、あまり知るところがないんですね。
なので全然知らなくても不思議じゃないところを、母や伯父伯母やその他の人から色々聞いていて、しかもそれを結構よく覚えているので、高松の叔父が「知らないことがあったら私に聞け」と言うぐらいだったりします(笑)

そんな祖母のことでこれも大きく記憶に残ってることがありますので、今日はそのことを。

どういう経緯かは分かりませんが、祖母には祖父と結婚する前に婚約者がいたそうです。

これもまたどういうことからかは分かりませんが、その方がお仕事か何かで家を離れることが多かったのか、あまり帰ってこないその家に、行儀見習か花嫁修業かは分かりませんが、家事なんぞをしながら住むことになっていたそうです。

その婚約者さん、大阪の将校さんで、結構大きな家の方、良い人で男前でもあったそうですが、なぜか祖母はその方が帰ってくるのがとっても怖かったんだそうです。

「将校さんが帰ってくる時に軍靴がかつかつと鳴るのが聞こえるともう怖くて怖くて」

と言っていたそうなので、おそらく、その方個人と言うより軍人さんが怖かったのかも知れません。

何にしろ、怖くて怖くてそのまま結婚するということに耐えられず、ある夜、裸足でそのお屋敷(らしかったですよ)から飛び出し、そのまま神戸の花隈で料亭をしていた一番上の姉(私の大伯母)のところまで逃げて帰ってきたんだそうです。

その後、どういう話になったのかは分かりませんが、結婚の話はなくなり、そのまま姉のところで働くか、またよそに働きに行ったのかは分かりませんが、その時に祖父と知り合い結婚をしたそうです。
明治か大正のことなので、恋愛結婚ってそう多くなかったと思うんですが、そのあたりの詳しいことを聞けなかったのはちょっと残念(笑)

子供の頃にこの話を聞いて、

「ドラマチックだなあ」

と思ったのを覚えています。

祖父も祖母も話を聞く限り穏やかな方だったようなので、夜中に走って逃げてくる、なんて誰も思いもしなかったんでしょうねえ。

もしも、その時にその将校さんと結婚してたら、今、ここに私はいないかも知れません。
そう思うと逃げてくれた祖母に感謝、かしら?(笑)

レースの手袋と祖母 ~ひよこの聞き語り(2)

先日、母の父のことを書いてから(「とと姉ちゃん」を見て祖父を思う)、もっと自分の祖父母やおじおば達、一族の人達のことを書きたいという思いが強くなりました。

ずっとずっと前から思ってはいたんですが、なかなかそういうことって書きにくかったんですよね、なぜか。
ただ、高松のおじさんに、私がそういうことを一番知ってると言われて、自分でも忘れてしまわないように書きたいと思うようになりました。

もっともっと昔から、まだ母がいた頃から書いていたら、もっとたくさんのことが聞けたのにどうして書いていなかったのか、と悔しく思うぐらいです。

それと、私は元々父親ともよく話をしてきた方だと思うのですが、それでも、母ほどは話していなかったらしく、母が亡くなり、父といる時間が長くなって初めて、「そういうこと初めて聞いた」と思うようなことが出てきました。
男性ってあまりそういう話をしないからかなあ?
そういうことも、時々、思い出したようにここに書くことでとどめていけたら、と思いました。
自分でメモでもしようと思っても、なかなかできないんですよね、「いつでもできる」と思ったら。

今日はまず母の母、私の祖母のことを書きたいと思います。
先日書いた祖父の妻のことですね。

祖母は、神戸で生まれ育ったんですが、その母、つまり私の曾祖母は明石の造り酒屋の娘で、神戸に嫁いだらしいです。
母がまだ子供の頃に曾祖母は亡くなったんですが、5人の娘がありました。
その、下から2番めだったか3番めだったかが私の祖母です。

祖父は、先日も書いたように苦学の末にそこそこの地位に着いた方で、紳士と呼んでいいような方だったんだそうですが、祖母はそれでいくと「働き者」だったそうです。

こんなエピソードを聞いたことがあります。

ある日、どなたかがお歳暮だかお中元だか、もしくはまた何かの折のお届け物だかに家に来られたそうです。

「あの○○さんの奥様だから、さぞかしきちんとした奥様なのだろう」

と、思ったのかどうかは分かりませんが、残念ながら祖母はそんなきれいな格好できちんと座って刺繍なんぞするような奥様ではなく、いつも動きやすい格好でこまこまと働いているようなタイプでした。

そうしたらその方、祖母のことをお手伝いさんだと思ったみたいで、

「これを奥様に・・・」

と、祖母にお届け物を渡したら、祖母も祖母で、

「はい確かに奥様に渡しておきます」

と、受け取ったんだとか(笑)

訂正するのもめんどくさかったんでしょうね。
さすが私の祖母だ(笑)

小さい包みを開けてみたら、入っていたのはレースのきれいな手袋。
まさに貴婦人の持ち物ですね。
祖父の妻なので、そういうのが似合うご婦人だろう、とその方は思ってくださったのでしょう。

その手袋を見て祖母が言ったのは、

「こんなに穴がいっぱい開いた手袋もろても炭もつかまれへんし・・・」

だったそうです(笑)

その後、その手袋がどうなったのかは分かりませんが、笑い話として母から聞いた話です(笑)

「とと姉ちゃん」を見て祖父を思う ~ひよこの聞き語り(1)

毎朝「朝ドラ」を楽しみに見ています。

先週までの「あさが来た」が本当に面白くて終わってしまってがっかりしてたんですが、今回の「とと姉ちゃん」もしみじみほんのりしてていいなあと思って見ています。

何がいいと言って西島秀俊さんが演じるお父さん、すごくいいんです。
昭和初期の日本って父親が家長で一番偉くて、家長が白と言ったら黒いものも白!という時代だったはずなのに、小さい子供も一人前の人間として扱って、尊重して優しくて、誠実で。
いいなあ、とほのぼのして見ています。

私の母方の祖父がちょうどそういう感じだったみたいです。
年代的には同じぐらいなのかなあ。
母の一番上の伯母が大正生まれで、その後主人公と同年代の伯母もいたりするからちょうどそのぐらい。

祖父が、やはり西島さんのお父さんのように、子供を一人前の人間として扱うような、そんな方だったらしいんです。

祖父は、元々は広島の浅野藩の家臣の家に生まれた次男だったんですが、長男であるおじさんが早世し跡継ぎになったはずが、その後明治維新で藩と共に家もだめになってしまった時代の生まれです。
ちょうど「あさが来た」のあさとも同じぐらいの年代の人間ですね。

曽祖父は、家屋敷、家系図、刀剣など一切合切をまとめて売り、そのお金を持って家族3人で神戸に来て、そこから一から生活をスタートさせたらしい。
そして祖父は、頭のいい人だったらしく、苦学して、それなりの地位について祖母と知り合い家庭を持った。

紳士でインテリで、そして子どもたちも呼び捨てになどせず、みんなに「さん」づけで呼んで、絵や俳諧の素養もあって、と、まあ私を見たことがある人なら、

「その人、本当にひよこさんのおじいさん?」

と、思うような方だったらしいです(笑)

私は写真でしか知りませんが、本当に「紳士」という風貌の人で、亡くなった一番上の伯父とよく似ていました。
残念なことに、私が生まれる何年も何年も前に亡くなってしまったので、祖父が残した俳句などを書きつけた手帳や数枚の絵ハガキ(祖父の職場で祖父の絵をハガキにしてお客様に差し上げていたらしい)、それから写真でしか知りませんが、生きていたらどんな話をしてたかなあ、と思ってしまいます。

母がよく言ってたのは、私が子供の頃から星を見るのが好きで、歴史の話なんかを好きなのを見てると祖父を思い出す、とのことでした。
う~ん、どこかに微かに少しでも、祖父の片鱗が流れてるんでしょうか、私にも(笑)

毎朝、そういうことを思いながら「とと姉ちゃん」を見ています。