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「本家」と「分家」 ~ひよこの聞き語り(21)

前回、母方の曽祖父の時に「家屋敷」「家系図」「刀剣一式」を「100円」で売り払って神戸に出てきた話を書きました。

その売り払った相手なんですが、どうやら「分家」の方らしいのです。

ところがこの「分家」やら「本家」やらが、ちとややこしいのです。

元々うちのご先祖の方が「分家」だったらしいのですが、ある時、「本家」か「本家の跡取り」か分かりませんが、何か不始末をやらかして「廃嫡」され、その時からうちのご先祖が「本家」になったのだとか。
それからご維新の時までずっと「本家」だったんですが、没落し、全財産を売り払った「100円」を持って神戸に出てきた、ということらしい。

「らしい」ばかりで恐縮なんですが、私も「聞いた話」ばかりなので、うちはそれこそ「本家」ではないもので、「らしい」としか言えません。
ただ、「そうだったらしい」としか。

そして、その「分家」とも戦後しばらくまではお付き合いがあった「らしい」のです。

ある年、「分家」の方の結婚式があり、うちの母の兄、長男がその結婚式に呼ばれたのだとか。
そこで親戚の紹介の時に、あちらが「分家の○○さんです」と紹介されました。

その話を聞いて兄弟姉妹の一番上の伯母さんが大層憤慨し、

「うちが本家やのに!」

とぷりぷりしてたらしいのですが、肝心の出席した「分家」と呼ばれた伯父さんは、

「今の時代、もう本家も分家もない、だから「分家の○○です」と挨拶した」

と言って、さらに伯母さんが怒ったとか。

なんか、2人の性格が出てるなあと思って子供心に面白かったのを覚えています。

一番上の伯母さんだったら多分そういうの我慢できないだろうなあ。
そして伯父さんはバリバリの理系なので、本当に「そういうの関係ない」んでしょう(笑)

あちらの方にしたら、「元はうちが本家」と思っているところに、多分財産全部を「100円で取り返した」時に「本家」も取り返したと思っていたのだと思います。
だから、もしかしたら、結婚式にうちの伯父さん、「元本家の長男、後継者」を呼んで「分家の」と紹介することではっきりさせたかったのかな?

うちは、見事に一番上の伯母さん以外は「そんなの関係ねー」な、小島よしお的考えの人ばかりなので、伯母さん一人がぷりぷり怒って、他の人がほっとく、てな感じだったのだと思います(笑)

私ももちろん「本家」だの「分家」だの関係ない、ってな方です。
そもそも、そういうのがあったとしても、母が結婚して姓が変わってる段階で本当に関係ないし。

ただ、おそらくですが、広島の「本家」があったところには、ご先祖のお墓だとか、家屋敷の跡だとか、何か縁の痕跡があるかも知れないんですよね。
それだけは、ちょっと見てみたかったかもなあ、と残念ではあります。

明治時代の100円 ~ひよこの聞き語り(20)

毎朝「わろてんか」を楽しみに見ています。

2週目ぐらいに「ちょっとどうかな」と思った回もあったんですが、面白いですよね。
前回の「ひよっこ」もよかったし、連続で楽しいドラマに当たるとうれしいです。

その中で、主人公夫婦(ではまだないけど)が夢の寄席を手に入れるために「500円」という大金を必要になるシーンが出てきました。

その時、ナレーションの小野アナウンサーが、

「当時の500円は今の500万円ぐらいです」

というのを聞いて、

「あ、そうなのか、じゃあやっぱり100円かな」

と、思ったんです。

うちの母方のご先祖は広島の浅野藩の家臣でした。
それが、明治維新で没落し、「家屋敷」「家系図」「刀剣一式」をまとめて売り払い、そのお金を持って神戸に出てきたのでした。

その「全部を売り払ったお金」が「100円」でした。

ずっとどのぐらいかなあ、と思ってたんですが、思うだけできっちり調べもせず、そのうちに「100円」だったのか「1円」だったのか「1万円」だったのかすら忘れてしまいました。
知ってる人がいたらよかったんですが、あいにくともうみんないなくなってしまってて。
高松のおじさんに聞いても、多分「そんなん知らん」とか「そんな古い話どうでもええがな」とか言いそうだし(笑)

多分「100円」だったはず、とは思ってました。
でも「100円」か「1万円」か「1円か」が混乱してしまった。
記憶の中に「1000」という数字がなかったので、おそらく「100円」か「1円」のどちらかだとは思ってたんですが、この価値観でいくと「1円」だと「1万円」で、さすがにそんなに安く「家屋敷」「家系図」「刀剣一式」を売り払うことはないですもんね。

母の兄弟姉妹で存命なのはもう高松のおじさんだけなんですが、おじさんに言わせると、

「自分よりよう知っとうから分からんことは○○(私のこと)に聞いた方がええ」

ぐらいなので、何かあるとこうして書き残していこうと思い、ちびちびと書いてます。

戦後、いつぐらいかは分かりませんが、一番上のおじさんが、関西のデパートで開催された「刀剣の展覧会」でご先祖様の刀を見てきたそうです。
今は、どこで誰が持ってるのかなあ?
ちょっと知りたくはありますが、もう分からないだろうなあ。

「とと姉ちゃん」を見て祖父を思う ~ひよこの聞き語り(1)

毎朝「朝ドラ」を楽しみに見ています。

先週までの「あさが来た」が本当に面白くて終わってしまってがっかりしてたんですが、今回の「とと姉ちゃん」もしみじみほんのりしてていいなあと思って見ています。

何がいいと言って西島秀俊さんが演じるお父さん、すごくいいんです。
昭和初期の日本って父親が家長で一番偉くて、家長が白と言ったら黒いものも白!という時代だったはずなのに、小さい子供も一人前の人間として扱って、尊重して優しくて、誠実で。
いいなあ、とほのぼのして見ています。

私の母方の祖父がちょうどそういう感じだったみたいです。
年代的には同じぐらいなのかなあ。
母の一番上の伯母が大正生まれで、その後主人公と同年代の伯母もいたりするからちょうどそのぐらい。

祖父が、やはり西島さんのお父さんのように、子供を一人前の人間として扱うような、そんな方だったらしいんです。

祖父は、元々は広島の浅野藩の家臣の家に生まれた次男だったんですが、長男であるおじさんが早世し跡継ぎになったはずが、その後明治維新で藩と共に家もだめになってしまった時代の生まれです。
ちょうど「あさが来た」のあさとも同じぐらいの年代の人間ですね。

曽祖父は、家屋敷、家系図、刀剣など一切合切をまとめて売り、そのお金を持って家族3人で神戸に来て、そこから一から生活をスタートさせたらしい。
そして祖父は、頭のいい人だったらしく、苦学して、それなりの地位について祖母と知り合い家庭を持った。

紳士でインテリで、そして子どもたちも呼び捨てになどせず、みんなに「さん」づけで呼んで、絵や俳諧の素養もあって、と、まあ私を見たことがある人なら、

「その人、本当にひよこさんのおじいさん?」

と、思うような方だったらしいです(笑)

私は写真でしか知りませんが、本当に「紳士」という風貌の人で、亡くなった一番上の伯父とよく似ていました。
残念なことに、私が生まれる何年も何年も前に亡くなってしまったので、祖父が残した俳句などを書きつけた手帳や数枚の絵ハガキ(祖父の職場で祖父の絵をハガキにしてお客様に差し上げていたらしい)、それから写真でしか知りませんが、生きていたらどんな話をしてたかなあ、と思ってしまいます。

母がよく言ってたのは、私が子供の頃から星を見るのが好きで、歴史の話なんかを好きなのを見てると祖父を思い出す、とのことでした。
う~ん、どこかに微かに少しでも、祖父の片鱗が流れてるんでしょうか、私にも(笑)

毎朝、そういうことを思いながら「とと姉ちゃん」を見ています。