「名前のない家事」と言う言葉を少し前から聞くようになりました。
例えば「調理」とか「掃除」というように名前がついたみんなが知ってるだろう家事ではなく、「ちょっとしたこと」それこそやることに名前がついてないけどやらないではいられない家事、のこと、でいいのかな?
まあ、そういうことです。
今朝のテレビでこの「名前のない家事」に名前をつけようという本が売れてるらしい、とやってました。
例えばバラバラになった密閉容器のフタと本体を合わせる作業を「タッパー神経衰弱」、洗った食器の水滴を確認しながら食器棚に戻す作業を「リ・ポジショニング」とか。
かっこいい(笑)
実際、こういう作業って自分がやるようにならないと分からないですよね。
よく「家事を手伝ってる」と耳にしますが、その中で一番多いのは「ゴミ出し」じゃないでしょうか。
ゴミを出したら終わり、じゃないんですよね。
その前にはゴミを分別して、水気を切ったり、袋を破りそうなものがあったら新聞等で包むとか、色んな作業を経てビニール袋に入れて口を縛って出せるように準備する、この段階が重要なんです。
その全部をやって初めて「ゴミを出す」なんですが、袋を持ってゴミ捨て場に出すことで「家事を手伝った」「家事をしてる」と終わってしまう。
やらないと分からない、出すだけで手伝ってる、やってると思う人を責められないとも思います。
私は実家にいた頃から、子供の頃から結構家事を「手伝う」方だと思ってますが、それでも「まだこんなこともあったのか」と思うことが一人でやるようになってありました。
そして一番違うのは、
「最終責任者」
であるということです。
例えば、家で「手伝い」のうちは、やらなくても「最終責任者」がやってくれるんですよ。
「誰かがやってくれる」ということ、これは大きいです。
「誰もやってくれる人がいない」と、名前のない見えない家事から何から全部やる必要ができます。
今朝のそういう名付けの中であったのが、
「1センチメンタル」
でした。
麦茶のペットボトルとかを、入れ替えるのがめんどくさいので1センチだけ残して冷蔵庫に戻す、ことだそうです(笑)
実は私もちょこちょこやります。
というのも、例えば寝る前とかしんどい時とか、もう1分30秒でもいいから早く休みたい時にこうなったら、あえて残して冷蔵庫にしまいます。
だって、飲んでしまったらペットボトルを洗って、時にはお茶を沸かして冷ましてあったヤカンから移して、ヤカンを洗って水を切っておく、までやらないといけませんから。
普段の時には特に苦にならない作業なんです。
でももう寝る段階に入ってる、しんどい、そういう時は本当にたったこれだけ、5分もかからないことがしんどい。
なので「1センチメンタル」の状態で戻して、朝起きてからとか元気な時に後回しにします。
でもこの場合「1センチメンタル」にしても最終的にやるのは「最終責任者」である私なんですよね。
誰かがやってくれるわけじゃないです。
クマ旦那さんは言ったらやってくれるだろうけど、言わないと気づかないですね。
それに、私も身勝手なので、あまり触られたくないってのもあったりします。
自分で思ったようにやりたいから、そのへんは特に触ってもらわなくてもいいんですよ。
本当、勝手ですね(笑)
でも家族がもっと増えて用事も増えたら、やっぱり「名前のない家事」にも気づいて手伝ってほしいと思います。
そういうのを知らずに主婦は気楽でいい、とか言われるのは本当に悲しいですから。
「名前のない家事」があることを知っているか知らないか、これが大きい違いです。
それと、知ってたとしても「最終責任者」になる気があるかないか。
ずっとじゃなくても、その時だけでもいいから、ヤカンをきれいにする、までやる気があるかないか、ですね。
「最終責任者」の重さを知ってほしいと思います。