先日、アメリカに住んでいて日系人収容所に入ったことのある伯父さんから聞いた話を書きました。
今日はまた違う伯父さんから聞いた話を書きたいと思います。
こちらの伯父さんは母の姉の夫です。
同じ市内に住んでいて、よく話をして色々聞かせてもらいました。
大抵が四方山話で戦争の話ばかりじゃないですけどね。
伯父さんは戦争の時中国に送られていました。
ちょっと今正確なことが思い出せないんですが、その時は多分十代後半から二十代前半ぐらいだったので、初年兵の二等兵から招集されたんじゃないかな、と思います。
入営して中国に着いてからは、よく映画やドラマで見るように厳しい状況だったようです。
誰かが失敗するとみんな並んで順番にビンタを食らわされたりして、すごく辛かったと聞きました。
中国のどのあたりにいたのか分かりませんが、兵営で毛布をかぶって寝ても、朝になったら隙間から吹き込んでくる黄砂で真っ黄色になっていたとか、どういう状況なのか想像もつかないんですが、
「だぶんだぶん(って言ったと思う)な地面があった」
というのがすごく記憶に残ってます。
私のイメージではテレビの実験で片栗粉にちょうどいい量の水を入れると上が歩ける、だったかな、そういうのを見たんですが、そんな印象です。
止まると沈むのに歩くと歩ける、ありますよね、そういう土地だったみたいです。
そこを車で走ると通れるんですが、足で降りるとずぶずぶ入るって言ってたような気がするので。
そういう不思議な土地がいっぱいあった、と教えてくれました。
とにかく戦争で行ってたのに、
「死ぬまでにもう一度行ってみたい」
と言っていました。
言っておいでよと言いつつ、行かないまま亡くなってしまいましたが、伯父さんにとってはそれほど魅力的な場所がいっぱいあった場所でもあったようです。
そんな伯父さんでも、やはり戦争ですから死ぬような目にも何度も会っているそうです。
「お昼はニコニコして挨拶する中国人が夜になったらゲリラになって襲ってくるのは本当に怖かった」
とも言ってました。
不思議な感じですよね。
私だったらお昼にニコニコはできないなあ。
襲ってくるのも日本兵憎しというより強奪が目的だったような、そんなことも言ってた気がする。
ある時も敵軍からかそういうゲリラかちょっと忘れましたが襲撃を受け、伯父さんはとにかく敵から見えないように低く低く、存在感を消しながら地面にできるだけくっついて、最後には、
「ヘルメットのつばでさらに土をかいてもっと低く低く潜ろうとした」
ぐらい必死で隠れたことがあったそうです。
そして、
「どんなことをしても生きて日本に帰ると決めた」
そうです。
みんな生きて帰りたいと思ってたと思います。
そして叶わずに帰れなかった人もたくさんいらっしゃいます。
思いだけ叶うことではないんですよね・・・
伯父さんは一生懸命考えました。
どうしたら生きて帰れるかと。
「それで思いついた、できるだけ本部に近いところに配属されたらええんや」
戦闘の時、やっぱり前衛から攻撃に行くんでしょうね。
本部は生き残らなくてはいけないから、そこにいたら最後まで生き残るチャンスがある。
伯父さんはとても字が上手でした。
そして計算とかもできたのかな。
そういう能力があるということを、事あるごとにアピールして、なんと、本部付きの事務方に配属されることに成功したそうです。
そして運もあるでしょうが、無事に終戦を迎え、生きて日本の土地を踏むことができました。
私が直接話をしたことのある親族で、戦争に行ったのはこの母の姉の夫である伯父さんと父の兄である伯父さん2人だけです。
少しばかりの話ですが、それでも一番話を聞いたのはこの伯父さんで、そのことをまた少し書いてみたいなとも思いました。
生きて帰ってくれたからこそ聞けたこと、重要だなと思ったので。
次の「聞き語り」もそのエピソードを書くと思います。