伯父さんがいた日系人収容所~ひよこの聞き語り(46)

今朝のニュースでアメリカの違法移民収容所に対するデモ?をやっているというのを見ました。

難しい問題だと思います。
自分の国では生きていけないから自由な国に行きたい。
でも受け入れる国にも限度がある。

来る人にもよるとも思います。
郷に入っては郷に従えならいいけど、そこを自分のいいように変えてしまおうとされたらやっぱり反発も出ますし。

それで思い出したことがありました。

私の伯父さんはアメリカで日系人収容所に入っていた経験があります。
伯父さんですが、血のつながりはなく、伯母さんの結婚相手の伯父さんです。

伯父さんは家族の半分とアメリカに渡って牧場をやっていたそうです。
残り半分は日本に残っていて、戦後、そこに帰ってきてうちの伯母さんと結婚しました。

少し話がずれますが、この結婚がちょっと面白いものでした。
元々、姉妹の姉の方が弟と結婚していて、その人の兄である伯父さんが日本に戻ってお嫁さんを探していて、妹の方の伯母さんと結婚したのでした。
なのでどっちが兄でどっちが弟?どっちが姉でどっちが妹?な関係になってました(笑)

そういう関係なので伯父さんと伯母さんはかなり年齢が離れてました。
大家族の父親の姉ですが、伯母さん同士も結構年が離れてましたし。

伯父さん達は住んでた場所もうちとはそこそこ遠かったので、ゆっくり話を聞いたのは高校生の時、妹と2人で遊びに行かせてもらった時だけです。
親戚の冠婚葬祭にも、伯父さんはもうそこそこ高齢だったので伯母さん一人で来ることもあって、そんなに回数は会ってませんでしたから。

伯父さんの家に着いてびっくり。
その頃の私から見たお年寄りの家って純日本風、例えばこたつがあって和室でだったんですが、さすがアメリカで育っただけあってもろに洋風だったんですよ。
和室もあったと思うけど、伯父さんはリビングのソファで寛いで、アメリカ映画に出てくるアメリカ人みたいに生活してました。
いとこに親戚の写真を見せてもらったけど、やっぱり外国人は多く混じってたのも面白かったなあ。

その伯父さんと色々話をしていて、何の流れからか「日系人収容所」の話になりました。

伯父さんの話を要約すると、色々な収容所があったようだが伯父さんのいた収容所はかなりフレンドリーで好意的で、収容するというよりは守ってくれてたような感じだった、というようなことを言ってました。
閉じ込めてすまない、みたいな感じだったと。

「食べ物や物資も豊富で牛乳なんか有り余るほど配られて、残して減らされると困るから使い切るために若い奥さん達は牛乳風呂に入ってお肌つるつるだった」

ですって(笑)

戦時中の話、これはなかなか難しい話だと思います。
楽しい時代だったわけがない。
命の危険もありますし、家族を失ったりもしてる。
なので楽しい話をしてもそれが全部ではないでしょう。

ただ、戦争の時代だからと言って笑えることがなかったわけではない。
普通の人の生活がそこにはありました。
漫画で映画の「この世界の片隅に」に描かれてるように、日常の生活があったんですよ。
私が家族、親族から聞いたのは、その日常に近い部分が多いと思います。

アメリカにいた伯父さんも、いくらフレンドリーだったと言われても、国から命令があって日系人を殺してしまえ!と言われたらその好意的な人達の銃口が自分に向くかも、という意識はあったと思いますし、心の底から安心して収容所にいたわけではないと思います。
そう思うとやっぱり普通の時代ではないけれど、それでもそういう事実もあった。

私の伯父さん達、血縁がある人もない人も戦争で亡くなってます。
会ってないけど、会ったことはないけど確かに存在した人達で、私の親やおじさんおばさん達にとっては兄弟で、いとこ達にとっては親です。
そんな近い人が亡くなってるんですよね、骨も戻ってこず、最後の様子もよく分からずに。

ただ、そんな中にも普通の生活は確かに存在してた、と私はそんな人達から聞けて幸運だと思います。
戦争だけではなく人間がいたんだ、と感じることができますから。

そして人間がいなくなるような、存在を見えなくなるような戦争はもう決して起こってほしくない。
そう思ってることだけは確かです。