ひよこ奥さん のすべての投稿

今できることを

熊本はまだまだ余震、と言うには大きな揺れが続いているようです。
刻々と被害の大きさも伝わってきて心が痛みます。

かと言って自分にできることはほとんどない。
駆けつけようにも距離があるし実際に行くのもむずかしい。
行ったとしても現場のことが分からない者がうろうろしても迷惑になるだけ、かえって手間を取らせるだけ。
何か物資を送るとしても、その送る物も自分で運べるわけではない。
市町村とか大きなところ単位で物資を送ってますが、そこに自分が買った物を足してくれ、と言うのもかえって迷惑なだけ。

「阪神大震災被災者からのお願い」というツイッターが流れてきたんですが、やはり「今は我慢してください」と書いてらっしゃいました。

確実なところに募金するぐらいしか今できることは本当にないですよね。

「今できることは本当にない」としたら「できることが出るまで待つ」のも今できることだと思います。

少し話はずれますが、アリは常に一部がさぼっていて、働いているアリが動けなくなった時にすぐに動けるように待機している、ということが最近の研究で分かってきたそうです。
全部が一生懸命働いてしまうと、いざと言う時にどうしようもなくて群れ自体がつぶれてしまう可能性が高くなるから、だそうです。

私が今できたのは、昨日も書いたように実家の補強をすることだけ。
早速ホームセンターで突っ張り棒と粘着シートを買ってきました。

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ホームセンターで色々と見ていたら、やっぱり他にも色々買っていた人がいました。
売り切れてた物も出ていたし、私のように、慌てて対策取ろうとしてる方も多いようでした。

私に今できることは自分と自分の家族を守ることだけ。
そうしておいて少しでもゆとりを持って、できることがまわってきたらそれをすることにします。
自分のことすら守れない者が誰かを助けることなんてとってもできませんから。

前震・本震・余震

また地震があったようです。

「ようです」と言うのは、寝ていて全く気づかなかったからです。
朝、6時半ぐらいに起きてテレビはつけたものの、地震のことをやっていても「余震がまだあるのか大変だ」ぐらいの気持ちであまりよく見てませんでした。

その後で「緊急地震速報」が入り、大分で地震があったと知り、父親と電話をしたら、別府のおばさんに電話をかけたが「大丈夫、なんともない」とのことでほっと一安心。

そのままBSで朝ドラを見てニュースにチャンネルを替えたら死者が出てる!

「え、え、今の地震でそんなに?すぐに速報出るぐらいだったの?」

ちょっと慌ててよく聞いたら、昨夜のうちに大きい地震があったとか・・・
全然知らなかったです。
関西でも揺れたとのことですが、うちは全く揺れてません。
私は寝てましたが、クマ旦那さんがまだ起きていた時間帯、全く気づかなかったそうです。

ネットをつないだら友人がSNSで「大丈夫!」と聞いてくれてたんですが、本当に全く何もなし。
お礼と、何も気づかなかったと発信したら安心してくれてました、ありがとう。

昨日、テレビを見ていたら、

「余震がやけに大きい、これは前震でこの後で本震が来るかも」

と言ってる方が1人いらっしゃったんですが、「前震」なんて言葉初めて聞きました。

今日になったらあっちこっちで学者の方が、

「地震学者はみんな知ってる」
「よくあること」
「分かっていた」

と、口を揃えたように言ってるんですが、だったらもっと早く、もっとしっかり知らせてほしかった!

後で「知ってた」と言うのは簡単です。
気象庁からきちんとそういう発表は前もってあったんでしょうか?
ちゃんと知らせてくれてたの?

もしも、昨日から、

「ひょっとして14日のが前震だとしたらもっと大きな本震が来るかも知れない、もっと広く念の為に避難を」

と呼びかけていたら、今日亡くなった方達は無事だったかも知れない・・・

昨日、父親と、

「悲しいことだけど阪神淡路以降、日本人って結構地震慣れしてしまってるよね、東日本の津波はさすがに分からなかったけど」

と話をしたところです。

「前震」、これも知りませんでした。
まだまだ知らないこと、気をつけないことがあるのなら教えてほしいです。
そしてこれから先、できるだけ被害を抑えるようにしていきたい。

そう言いながら私もです。
21年前、あれだけの目に会っていながら、今気づけばそのへんに物は積んでいる、物は増えている、あそこもここも・・・
当時気をつけていたことがもうなかったことのよう。

昨年、父親が寝てる部屋の模様替えをしました。
その時に父親が、「これだと狭いよ」「これは危なくない?」と言っても、「こうしてほしい」と言うままに家具の配置を替えました。
昨日話しても「今のままがいい」と言います。
せめて、何かあっても崩れにくいように、今日早速何か耐震グッズを買ってきます。

「直さないとなあ」

そう思いながら今日まで・・・

もしも、昨日の地震でもっと関西まで揺れてたら、タンスが倒れて父親は下敷きになっていたかも。
前夜、地震のニュースを見ながら心配だったのに、大丈夫だったから、と昨日は何もしませんでした。
その「一日」で大事になるのかも知れない。

行ってきます、買ってきます、そして設置してきます。
そうしておいて、父親がもっと暮らしやすいように、高齢者1人でも大丈夫なようにしてきます。
こちらは、マンションは結構丈夫で、それに物を積んでると言っても実家ほどじゃなく、しかも普段は物置にしてる部屋だけです。

それに私は1人じゃない、クマ旦那さんがいてくれる。
何かあっても助けてもらえる、助けられる。
でも実家は父親1人、何かあっても最短でこちらを飛び出して行けたとしても10分はかかる、その10分で手遅れになることもある!
先にあっちだ!

いきなりの地震

昨夜、お風呂に入って出てきてテレビを見たら熊本で大きな地震が!

びっくりしました。
だって、こちらでは何もなかったし、ちょうどニュースが入った頃はお風呂でしたから。

阪神淡路の時には文字通り渦中にいて自分で体験したので知っています。

東日本の時には、気づくか気づかないかぐらいですが父親と「揺れてる?」と言っていたら、当時仕事で大阪だったクマ旦那さんが、

「大丈夫!!!」

と、仕事を抜けて電話してくるほど、大阪のビルだったのでかなり揺れたらしい。

そうやって、今まではなんとなく「地震があった」というのを知ることができたので、今度は本当にびっくりしました。
震度7の地域があるのに、ゆっくりお風呂に浸かってたんですから。

残念なことに人的被害も出たようです。
阪神淡路や東日本ほどの被害にならなかったのは幸いですが、それは数の上だけのこと、実際にご家族を亡くされた方やご自宅をなくされた方、まだ避難所にいる方には百パーセント自分の上のことですから・・・

災害が起きるたびに思うのと同じことを今回も思わずにはいられません。

どうかできるだけ被害が小さく、できるだけ早く被害に会った皆さんが通常の生活に戻れますように!

ホットドッグ

うちの父親にはお気に入りのパンがあります。
それを、やはりお気に入りのパン屋さんで買い、冷凍したのを毎朝焼いて食べてます。

そのパン屋さん、毎月決まってサービスデーがあるもので、その日にちょっとまとめ買いをし、店の冷凍庫に入れてあります。
せっかく大きい冷凍庫あるんだしね(笑)

今週末がそのサービスデーなんですが、惜しいことに、今回はあと2日残してパンがなくなる計算でした。
父親はそこそこ分厚いのを毎朝決まって2枚食べるので残りが計算できるんです。

できればその日に買いたいからどうしようかなと考えて、久しぶりにホットドッグを作ることにしました。

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気がつけば我が家のホットドッグはこれでした。

小さく切ったキャベツを炒めて(私は塩炒りすることが多いですが)ケチャップで和え、そこに切ったソーセージを焼いてはさみます。
パンには辛子バターとケチャップ、それからオーブントースターで焼いた後でまたケチャップとマスタード。
今朝はマスタードを切らしてたのでマスタードなし、ちょっと色がさびしくなりました。

ずっと家で食べるのはこれだったもので、ホットドッグってキャベツとソーセージが挟んであるもの、という意識があり、ある時映画を見てびっくりしたことがあります。

その映画では、主人公がスタンドのホットドッグ屋さんからホットドッグを買うんですが、お店のおじさんがほかほかと蒸したパン?を箱から取り出し、パンと同じ長さのソーセージ、やっぱり蒸してあるのかな?それをトングではさんでパンにはさみ、そのまま主人公に渡したんです。

「え、ケチャップも野菜も何もなし???」

本当にびっくりしました。
あのまま食べておいしいのかな?と思いました。

その後、コストコに行くようになり、フードコートで例のでっかいホットドッグ!を食べて、

「ああ、なるほど、こういうことか」

と、納得しました。

コストコのホットドッグ、まさにあの映画で見たまま、パンにソーセージをはさんだだけで渡してくれますよね。
それに自分でキャベツやピクルスやケチャップ、マスタードをかけたりはさんだり。
なるほど、ああいうのがアメリカ風なんだなあ。

もっとも、コストコだけしか知らないのでアメリカ全部がそうかどうかも分かりませんが、長年の謎がコストコのおかげで解けた気はしました(笑)

お父さんお母さんお父ちゃんお母ちゃん ~ひよこの聞き語り(4)

皆さんはご自分のご両親のことをなんて呼んでらっしゃいますか?

「お父さんお母さん」?
「お父ちゃんお母ちゃん」?
「パパママ」?
それとも「とと姉ちゃん」みたいに「ととかか」?

色々な呼び方があると思いますが、私は、いい年になった今でも基本は「パパママ」だったりします(笑)

なぜかと言いますと、母の一番上のおばさんが、

「今頃はみんなパパママやからそう呼ばせんとこれからはかわいそう」

と主張したらしく、私も妹も、それから母方のいとこ達、おばさんの孫まで全員最初は「パパママ」でした(笑)

その後、成長するにしたがって色々と変わってきたんですが、私は最後まで抜けなかったですねえ。
抜けなかった理由もあるんですが、それはまた後日にでも。

今日はうちの母方の兄弟姉妹がどう呼んでたのか、を書きたいと思います。

私が生まれるずっと前に母方の祖父母は亡くなっているので、もちろん自分でそう呼んでるところを聞いたわけではありませんが、母がその兄弟姉妹と話してるのを聞いていたのを思い出したら、そう呼んでいたなあ、と思う呼び方があります。

まず一番上、長女のおばさんですが、「お父さんお母さん」でした。
母達に話す時に「お父さんが」「お母さんが」と言っていたのを覚えているのでこれは間違いありません。

次に2番目、長男のおじさんですが、「お父さんお母さん」と「親父おふくろ」でした。
おそらく最初は「お父さんお母さん」で、成長するにしたがって「親父おふくろ」になっていったんじゃないかな。
男の人は多いですよね。
でも母達と話す時には「お父さんお母さん」だったので、そっちの方が多かったんだろうと思います。
実際に祖父母を呼ぶ時は「お父さんお母さん」だったようにも思えますね、おじさんの性格から言って。
母達と話す時に「おふくろが」とか言ってるのは、聞いたことがあるようなないような・・・

次に母のすぐ上のおばさんですが、「お父さんお母さん」と「お父ちゃんお母ちゃん」が混じってたような気がします。
なんでかな?
ひょっとしたら、相手によって変えてたのかな?
母と話してる時は「お父ちゃんお母ちゃん」だった気がするので、なんとなくそう思いました。

そして次がうちの母親ですが、「お父ちゃんお母ちゃん」でした。
私達に話をする時には「おじいちゃんが」とか話すこともありましたが、自分のことを話す時なんかには「お母ちゃんにこうしてもろた」みたいに言ってましたね。

そして母の弟、末っ子のおじさんは、おそらく最初は「お父ちゃんお母ちゃん」だったんでしょうが、私が呼び方を聞くようになってからは「親父おふくろ」としか言ってるのを聞いたことがありません。
だから、ひょっとしたら「お父さんお母さん」だった可能性・・・う~ん、あるんだけど、うちの母親が「お父ちゃんお母ちゃん」だったから、おそらくかなり低いですね、可能性(笑)

祖父母自身はお互いのことを「お父さん」「お母さん」と呼び合っていたらしいので、どうしてうちの母親が「お父ちゃんお母ちゃん」なんだろう?と、ちょっと不思議。
なんででしょう?
でももう、聞ける相手もいないので、不思議なままに置いておくしかないんでしょうね。
唯一残ってるおじさんも多分覚えてないだろうし。