柏餅

今日の午後、いとこが突然やってきました。

うちの母親と同じ年に亡くなったおじさんが住んでいた家を、とうとう処分することになったんです。
いとこは違うところに住んでいて、その敷地内におじさんが住めるスペースも作っていて、最後の方は半分ぐらいはそちらに住んでいたようなので、もう10年近くもほとんど使っていなかった家です。

それでも、処分するとなったらやっぱりさびしいですね。
何度も泊めてもらって遊びに行って、おばさんが亡くなった後はおじさんを訪ねて行って、そうしていた家ですから。

まだ処分に時間がかかるので、お手伝いできるところはするから、ということになりました。
まだいっぱい荷物も残ってますしね。

そのいとこが持ってきてくれたのが写真の柏餅です。

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そう言えば一昨日も妹が持ってきてくれた柏餅を食べたなあ。
言われてみればもうすぐこどもの日なんですね(笑)

ただ、みんな柏餅はくれるけどちまきはくれないので、明日か明後日に買って来ようと思います。
私はちまきが大好きなんです(笑)

あ、もちろん柏餅も大好きで、おいしくいただきました。
ごちそうさまです♪

休日は2食(笑)

ずっとではないんですが、ここ半月ほど日曜日は2食の日が続いてます(笑)

お休みの朝、どうしてもごろごろしてしまうんですよね。
本当は起きて動きたいんですが、色々と忙しかったのでお休みの朝はゆっくりしたくなります。

お休みの日の朝、目が覚めて、

「あ、お休み!やったー!」

とうれしくなる気持ちは異常なほどのわくわく感(笑)

それでテレビ見てゴロゴロして、少し遅くに朝ごはんを食べることになります。
9時過ぎぐらいかな?

そうしたら、お昼まで3時間ほどしかないんです。
なので、お昼は食べずに夕飯を早くして、早くお風呂入って早く寝たい!(笑)

それに、ご飯作ったり食べたり片付けたりする時間がないので、少しでも片付けたりもできたりします。
そういうわけで今日もそうです(笑)

昨日、妹一家が来るのでエビフライとカツといもフライをいっぱい作りました。
父親のリクエスト(笑)
大家族で育って、どーん!といっぱい盛りつけてに慣れてる人なせいでしょうか、人が集まるとなると余るぐらい作ってほしいのです。

もちろん、残ってその翌日に食べたり、妹のところに持って帰らせたりするのが前提ですが(笑)

うちも持って帰りました。
今夜はご飯炊いてレトルトカレーとカツでカツカレー、クマ旦那さんの大好物(笑)

なので夜もちょっと手抜できます。
私はその分今日はお休み。
日記書いたら一度横になろうかな~
ご飯炊ける頃に起きたらいいよね(笑)

これもちょっとだけのゴールデンウィーク気分?(笑)

日本初出店の「マシュー&クリスピー」

ゴールデンウィークだと言うことで、今日は妹一家が実家に来て、みんなでご飯食べたり大忙しでした。

いっぱいしゃべっていっぱい食べてテレビ見てトランプして、すっかり帰ってくるのが遅くなりました。
楽しかったけど忙しいので疲れた(笑)

その時に、写真のようなお菓子をもらいました。

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「合格の内祝い」

中身は2枚目と3枚目な感じです。

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中のお菓子は色々と組み合わせられるらしく、姪っ子が一生懸命組み合わせを考えてくれたらしいです。
ありがとうね♪

見たことがないなと思ったら、

「Matthew & Chris.P(マシュー&クリスピー)」

というニューヨークの「ライスクリスピー」の専門店で、日本では神戸の大丸に初出店だそうです。

へ~知らなかった。

今日はお腹いっぱいで食べられないのと、もったいなく食べられない(笑)
かわいいなあ、どんな味かなあ?
古くならないうちに食べないとだけど、本当、かわいいからどうしましょ(笑)

ゴールデンウィーク、だそうですね(笑)

今日からゴールデンウィークだそうですね、我が家はあまり関係ないのですっかり忘れてました(笑)

朝、テレビをつけたらニュースをやってる時間帯なのに深夜のバラエティの再放送をやってたのでびっくりして、

「あ、そうか今日は休日か」

と気付いたのでした。

私が高校の時に父親が商売を始め、その頃からもうずっとこんな感じですね。
当時は定休日も日曜日ではなかったので、たまたま祝日と重なったらお休み、でした。
母親は大変だっただろうなあ、と今では思います。
日曜日や祝日に子供が休みでも店があるから朝もゆっくりしてられませんしね。

明日は妹一家が来て実家に泊まると言ってるんですが、普通の土日で私は日曜日がお休み、なのでこれもいつもと変わりません。

来週はちょっと店が休むと思いますが、父親のご飯作ったり、やっぱりあまり普段と変わらない日になりそうです。

一番いつもと違うのは、夕刊がないことかなあ(笑)

新制高校生になった父 ~ひよこの聞き語り(8)

前回(ひよこの聞き語り(7))、

「母親が入学した学校と卒業した学校が全部違う」

という話を書きました。

母親の場合、戦前戦後の混乱で行っていた学校の名称が変わったことと、疎開で引っ越したことが原因でした。

母親のやや年長の父親も、やはり学校の名称が違っています。
こちらはずっと同じ家で生まれ育ったんですが、同じく時代のせいですね。

父親は母親と同じく「尋常小学校」に入学しました。
ここまでは同じ。

次に、母親は「高等女学校」に進学し、それが「新制高校」に移行したわけですが、父親は「尋常高等小学校」に入学しました。

これは、小学校の上にある学校で2年間だそうです。
受験する人は「中学校」に進むわけですが、父親は受験をせずにそちらに進学したそうです。

理由は、

「高等小学校を出たら兵隊さんになるための学校に入ろうと思っていた」

からです。

「どうせみんな兵隊に行かされる、ならばその学校を出たら20歳ぐらいで少尉になれるから」

と考えた末の進路だったそうです。

そのつもりで「尋常高等小学校」に入ったものの、戦争が終わって決めていた進路がなくなり、また中学を受け直して編入し、そこから「新制高校」に進んだらしいです。

父親の年齢だと、学校に入ったからと言ってすぐに戦地に送られることはなかったと思いますが、それでも、

「入学してたら何発かは殴られてたやろなあ」

とのことです。

殴られるような学校に行かなくて本当によかった(笑)

父親のほんの少し上の方では学徒動員で出征されて戻らなかった方もいらっしゃるようです。
そしてこちらは兵隊さんに行ったわけではないですが、同学年の方で、小学生一人で満州の開拓団に入った方がいらっしゃったそうです。

「満蒙開拓団」

たくさんの日本人が満州や内モンゴル自治区に開拓団として入植されたんですが、その方は家族ではなく、たった一人で志願して行かれたんだとか。
調べたところ、「満蒙開拓青少年義勇軍」というのもあるらしいのですが、そちらは16歳以上ですので、11か12の小学生が入れたようには思えません。
なんにしても、すごい勇気と言うか、なんと言うか・・・

幸いにもその方も無事に戻られ、2、3年前に父親が妹達といなかに帰った時のもご健在だったそうです。
聞いてほっとしました。

しかし、母親の場合は、名前は変わったとしても一応自分が考えていたルートに沿って進学していますが、父親は違います。
いきなり進路がぶっつりと切れ、慌てて進む先を考えなおしたことになります、たった10歳ちょっと過ぎたぐらいの子供が。

「どんな気持ちだった?」

と聞いてみましたが、

「なくなったもんはしょうがない」

みたいな返事でした(笑)

まあ実際そうなんでしょうねえ。

なんにしても、無事に八十の坂を越し、まだまだ元気でいてくれる、それだけでもう充分かな。
せっかく元気でいてくれるんですから、絶対に100は超えてもらいます、ええ(笑)

食いしん坊なクマとひよこの食べ物ライフ