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祝日と祭日

今日は文化の日でおやすみでした。
私のお休みの日とも合っていて、お休みだから、と一日さぼってちょっと反省です。

あまり休日と関係ない生活をしているもので、休日に休めるのはなんかちょっとうれしかったですが(笑)

昔は休日のことを「祝祭日」と言ってたんですが、今は言わないんだそうです。

昔は「皇室が日本独自の宗教儀礼を行う日」を「祭日」、そうではない休日を「祝日」と言っていたんだとか。
戦後、戦争に負けた中で法律の改正があり、本来の「祭日」から残った何日かが一緒に「祝日」になっているようです。

元々の「祭日」だった日は「建国記念の日(紀元節)」「春分の日(春季皇霊祭)」「秋分の日(秋季皇霊祭)」「文化の日(文化の日)」「勤労感謝の日(しんじょうさい)」で、それに昭和天皇の誕生日である「昭和の日(天皇誕生日)」と「天皇誕生日(今上天皇誕生日)」が、それにあたるそうです。

私が子供の頃、まだ「祝祭日」と呼んでたと思うんですが、実際はずっとずっと前に「祭日」は廃止されてたんですねえ。
知らなかった。

今日は「文化の日」なので本来は「祭日」にあたるようですが、これは「明治節」で明治天皇の誕生日だかららしいですが、「日本国憲法が発布された日」の方がよく聞く気がしますね。

どっちにしても、お休みはうれしいです(笑)

縮こまらない!

寒いですね、一気に寒いです、一気に冬です・・・

「お布団から出たくないなあ・・・」

そう思う季節がやってきました。

今朝も、そう思いながらイヤイヤお布団から出て、朝ご飯の用意やら洗濯やらをしてました。

「あれもこれもやりたかったのに、寒くて動くのが嫌だなあ・・・」

そう思いながらテレビを見てたら、「生活不活発病」という言葉が耳に飛び込んできた。

「生活不活発病」とは、文字通り、生活が不活発、つまり「動くのが嫌だなあと思って動かない」という状態が続くことで、身体機能だけではなく、精神まで影響して病気になってしまう、ということのようです。

「う、やばい・・・」

10月いっぱい、色々と忙しくて、

「11月になって時間ができたらやろう」

と、思ってたことがいっぱいあります。

昨日の「つくろい物」もそうですし、一足早く、一昨日は実家の倉庫の片付けをしました。
それが、「寒くて動きたくないな」と思うことでできなくなりそうだったんです。
危険ですね。

「よし、とりあえず両手を伸ばして深呼吸して、小さいことからでいいから動ここう、縮こまらないぞ!」

そう思ってイヤイヤですが、ちょっとずつ動き出しました(笑)

本当に、体が縮むと心も縮みます。
寒さのせいにしてやりたいことをやれなくなるのはもったいない!

でも、無理はしないでね?(笑)

つくろい物

今日からいよいよ11月、本格的に冬になりますね。

「冬が来る前にやっておかないと」

と、父親のチョッキの繕いをしました。

関西では「つづくる」って言うんですが、一般的には「繕う」みたいですね。
ずっと「つづくる」が普通の言葉だとばかり思ってました。

父親のチョッキ、もう古いし、そろそろ買い換えたら?と言うんですが、お気に入りみたいです(笑)
なので、前のシーズンにも「つづくった」し、このシーズン前にもちょっとメンテしておきました。

「そのうち、元の糸がなくなるんじゃないの」

と、ひやかしたら、

「刺し子みたいになるかもなあ」

って、そんなきれいにはなりません(笑)

とりあえず、小さい破れは全部直しておいたので、気が済むまで着てください(笑)

ジュラルミン街 ~ひよこの聞き語り(18)

毎朝「べっぴんさん」を見ています。

そして実家に行ったら父親とドラマの話をしたりするわけなんですが、今朝は、

「あさやさん、元町で焼け残った言うけど、あんまり元町っぽくないよね、セットやから仕方ないけど」

というところから、また戦後の元町の話になりました。

うちの父親は戦後すぐに神戸に出てきたわけではありません。
父親の母親、つまり私のおばあちゃんが病気になり、もうあまり長くないということで、高校卒業後そのまま家に残り、おばあちゃんが亡くなってから就職で関西に出てきました。

なので、父親が神戸に来た頃にはかなりもう復興していたそうなんですが、それでも元町はまだまだ空襲で焼けた名残が残ってはいたようです。
阪神淡路の名残が今もまだ残ってるように、あっちこっちで気づくと何かある、というぐらいだったのかも。

「元町も空襲で焼けて、3丁目はうちの会社と同和火災のビルだけが残ってた」

父親と母親が勤めていた会社のビルは外が焦げたりはしたものの残っていて、外と中を直して営業をしていたようです。

元町は、1丁目から2丁目、3丁目あたりが空襲に会い、また反対側の7丁目も神戸駅の近くなので焼けたんじゃないか、と父親が言いました。

「べっぴんさん」で「あさや」さんとして出てくる靴屋さん、本当にあったお店がモデルなので、

「元町でも焼けなかった6丁目あたりやったのかなあ」
「そうかもな」

そんな話をしてたらまた父親が、

「3丁目その2つのビル以外は全部焼けてしまってトタンか何かで作ったからか『ジュラルミン街』と呼ばれてた」

と言うのを聞いてびっくり、

「え、そんな話初めて聞いたよ!」

そうなんです、元町がそんな呼ばれ方してたなんで、今日、父親に聞いて初めて知りました。

調べてみたら、戦時中に航空機工場から松蔭女学校へ疎開させていたジュラルミンの払い下げを受け、戦後まもなく元町の共同店舗をキラキラ光るジュラルミンで作ったから、だそうです。
父親が金属だからトタンか何かと思っていたのは、本当にジュラルミンだったんですね!

昭和も30年代に入り、段々とジュラルミンの外装を持つ店舗は建て替えられていったそうですが、今も残っているところがあるそうです。
全然知らなかった・・・

私が知ってる元町は、もう建て替えられた後の元町です。
と言うか、元町がそこまで焼けたなんて知らなかったきがします。

母親が20年代半ばに元町に戻り、その数年後に父親が会社に勤めるようになりました。
その頃はまさに復興の真っ最中だったんでしょうね。

なので、もう生活ができてる元町の印象しかなかったんです。

他に印象が残ってるのは、母親が言ってた、

「元町の通りにチャーチルやルーズベルトの顔を描いてあって、それを踏んで通るようになってた」

ことです。

主に聞くのは戦後の元町での母親達の生活のこと、そしてその「鬼畜米英」の踏み絵のことだったので、今回聞いたジュラルミン街は本当に新鮮でした。

それと、「あさや」さんのモデルですが、ドラマでは元町になってましたが、事実は三宮センター街のようです。
あのあたりも焼け残ったのかな?
また父親に聞いてみようと思います。

お仏壇の方角

うちの実家のお仏壇は母が亡くなった時に買いました。

実家の1階の和室、居間、とでも言うんでしょうか、以前は両親が、今は父親が寝てる部屋に置いてあるんですが、お仏壇が一つ増えたことで家具の配置が困ることになりました。

お仏壇が入った当初、タンスを一つ台所に移動させてたんですが、その後、父親がタンスを和室に戻したいと言い、かなり強引に戻すことになりました。

テレビが妙な位置に移動してしまい、台所から見えなくなった(笑)

テレビはね、まだなんとでもなるんですが、背の高い洋服ダンスの置き場所がちょっと心配です。
以前は部屋の隅っこに南向きに置き、並びに引き出し式のタンスを置いてあったんですが、今は父親の主張で以前置いてあった向かいに移動してます。

その配置がね、ちょっと心配なんです。
と言うか、なんでその位置にするのかな?と思うようなところに置きたがるんです、父親が・・・

「地震が来たりしたら危ないからそこには置かないでほしい」

と言っても、どうしてもそこに置くと言って聞きません。

仕方がないので上に耐震用のつっぱり棒をつけたり、下にゴムか何かでできてる家具を少し持ち上げて倒れにくくするようなのをつけたり、色々対策はしてますが、それでもやっぱり、もうちょっとなんとかなるような気がするんです。

「仏壇の置く方向がここかこっちしかないから仕方ない」

って父親は言うんですが、お仏壇の置く位置って本当にそこしかだめなのかな、と調べてみました。

調べたら、総合的に言うと、

「方角は関係ない」

との意見がかなり多かったです。

宗派によって推奨する方向はあるんですが、仏様は全四方にいらっしゃると言うことで、本当はどこでもいいみたい。

ただ、お仏壇が痛むからとのことで、直射日光は避けた方がいいとか、湿気る場所はやめた方がいいとか、ごくごく一般的な見解で構わないみたい。
台所は汚れるからやめましょう、とかね。

ただ、神棚がある場合は向かい合わせに置かない方がいい、と言うのも、拝んだ時に向かい合わせだとそれぞれにお尻を向けて失礼だから、ぐらいのことだとか。

結構自由なんですね、調べてみたら。

今の方角じゃなくていいとしたら、もうちょっとなんとかなりそうな気がします。
一度話をして、少し置き場所考えたいなあ。
お仏壇はもちろん大事ですが、今生活してる人間の安全の方がもっと大事だと思いますから。