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ヤマザキ「ポニーメリー」

日曜日は家にいてのんびりすることが多いのですが、今朝は父親がお歳暮の注文をしに行きたいというので朝から連れて行ってました。

用事を済ませて父親を家まで送り、その後で少し買い物に行ったんですが、その時に1枚目の写真のようなパンを見つけてしまいました。

前からあったパンなのか、新発売なのか分かりませんが、私の目に留まったのは今回が初めてです。

2枚目が半分に割ったところです。

袋に書いてあるように、カスタードと生クリームのダブルクリームになってます。

そういうの、少なく無いですよね?
菓子パンでも、シュークリームでも、他のお菓子でもよく見るタイプです。

どうして今回に限り、これに目が留まったのかといいますと、

「デニッシュ生地」

だったからです。

コッペパンのなら多分通り過ぎてたはず。
ええ、よく見てますから。

それが「層になったパン」だったので、手に取ってしまいました。
大好きなんです、「層になったパン」が(笑)

食べた感じは、いわゆる「デニッシュ」ではなかったですね。
似たようなパンを食べたことがあるような気がしますが、今はどういうのだったかはあまり浮かびません。
でも嫌いじゃない。

それとね、やっぱり命名です。
普通に「生クリームとカスタードのダブルクリームサンド」とか書いてあったら、多分気にしなかっただろうなあ。
なんで「ポニーメリー」なんだろう?
生クリームが「ポニー」でカスタードクリームが「メリー」?
う~む気になる・・・

その名前に引っかかって買ってしまった部分が8割ぐらいだと思います。

それにしても、私はパンが大好きなので、こういうのがあるとついつい買ってしまいます。
菓子パン太るのになあ、命名の罠だなあ(笑)

出かけたら食べて帰りたい、「軽くでいいから」は軽くない

昨日、夕方から大阪へ遊びに行って来ました。
出不精夫婦としてはちょっと珍しい出来事です(笑)

最寄り駅まで帰って来たのは夜の10時頃でした。

駅までは車で来ていたので、

「帰りにどこかで何か食べて帰ろう、帰ってからラーメンでいいから、とかってのは堪忍してよ?」

という話に(笑)

だって、割りとよくある話ですよね、遊びに行って帰って、

「軽くで我慢するから」

みたいなの。

作らない人は「それで我慢してる」つもりなんですが、たとえ「軽くでいいから」と言われても、たとえばお茶漬けだとしても、お茶碗、お箸、しゃもじ、急須、場合によってはお茶漬けのための何かを入れるお皿とか、ご飯が空っぽになったおかまとか容器とか、色んな物が必要になってくるわけです。
お茶沸かして入れて、ご飯よそって、食べて、片付けて。
それだけのことして「我慢してる」と言われても、こっちは全然楽じゃない。

ってことで、うちは私がはっきりと「出かけたら私だってしんどい」と、父親にもクマ旦那さんにも主張して、できない時は「食べて帰りたい」と言うようにしてます。

昨日もそうでした。
それで、ご近所にある天丼屋さん?で写真のような「天ぷら定食」を食べてから帰りました。

初めて行ったんですが、食券を出して、トイレに行って帰ってきたらもう来てたのでびっくり!
それをさっと食べてさっと帰りました。
楽だ~(笑)

お出かけは楽しいんですが、子供の頃は楽しいだけで済んだのが、大人になると後片付けもしなくてはいけないし、洗濯も増えるし、やっぱり一つでも用事は減らしたいですよね。

あまり外食をする方ではないので、ご近所でちょっとそういう時に行けるようなお店、開拓したいなあ、と思いました。

テレビがやってきた ~ひよこの聞き語り(32)

天皇陛下のご退位のために「皇室会議」が開かれているそうです。
日記を書いてるこの時間、まさに真っ最中です。

なんでしょうねえ、なんか、歴史の1ページに立ち会っているような、そんな気分です。

ニュースをぼーっと見ていたら、天皇陛下にまつわるエピソードを色々と紹介していて、その中で、

「天皇陛下と美智子様の結婚式を見たくてテレビを買ったお宅も多かった」

と言ってました。

それを聞きながら、

「そう言えば、母のところもそうだったらしいなあ」

と、漠然と思い出しました。

当時はまだ「元町の家」の時代で、住んでいたのはおそらく一番上の伯母、伯母の娘、母、末っ子の叔父、それから母の上の伯母は半分は大伯母の料亭半分はこの家だったかと思います。
長男の伯父とその家族は、多分転勤で東京かな?
ひょっとしたら母たちの従兄弟もいたかも知れないけど、多分もういなかった頃、な気がする。

おそらく、こういうのが大好きな一番上の伯母さんの発案でテレビを買ったんだと思います。
うん、それらしい(笑)

当日はご近所でまだテレビを買っていないお宅のお知り合いとかも見に来て、えらくわいわいと見ていたようです。
当時はまだビデオなんかないし、後にニュースとかで見るとしても、やっぱりできたら生で見たいですもんね。

みんな楽しく見てたんですが、当時、多分まだ大学生だった下の叔父さんは、ちょっと当時遅い反抗期?(笑)か、元来のへそ曲がり精神か、

「たくさんの人が来てうるさくていらっとした」

らしく、怒って出て行ったか何か、だったようです。

うん、これも「らしい」(笑)

末っ子の叔父さん、私はこの人が大好きです。
今も存命なのはもうこの叔父さんだけなんですが、私もクマ旦那さんもかわいがってもらってます。
なんというか、「変人同士」何か通じ合うところがあるというか、なんというか、で(笑)

多分ですが、叔父さんからすると、テレビみたいな新しい物に興味はあるけど、それをみんなが買うブームみたいな時に買って、しかもみんなが見たいご成婚パレードとかでお祭り騒ぎになるのは、

「なんとなく癪」

だったんでしょうね。

今は年を経て丸くなってきたのでどうか分からないけど、以前だったら絶対に「テレビ見たかった」とか認めてないな、叔父さん(笑)

何にしろ、うちの母の家にテレビがやってきたのもやはりその時、これは間違いありません。

その当時、母がまだ結婚してなかったもので、もちろん私はまだまだ生まれる前のことですが、そういう私は今の天皇陛下のご即位のお祝いの年、ちょうど東京の友達のところに遊びに行ってました。

どうして東京に行ってたのかな?
当時はよく東京に行ってたんですが、大部分がTMネットワークの大きいライブとかが目的だったので、理由はなんだったかよく覚えてなくても即位の礼のパレードとかが目当てではなかった、とだけ覚えてます。
調べてみたけど、ちょうどその時期にTMのイベントっぽいものがあった記録はないようです。

東京に行ったらちょうどパレードがあるというので、友人と一緒に見に行きました。
駅とかでは大きい荷物を持ってる人が荷物チェックされてて、ロッカーとかも使えなくなってるのもありました。

私は荷物どうしたのかなあ?
ちょっと大きい荷物持って夜までうろうろしてた気もするけど、それは今も外に出るのに大きい荷物持ってることも多いから、泊まる荷物だけはちょっと遠い駅にでも預けたのかも?よく覚えていません。

そうそう、パレードの列に加わるのに、女性の警察官に上から下までボディチェックされたのも初めての経験で、何もかもわくわくしたなあ(笑)

その後のパレードを見て、なんだろう、なんか不思議な気持ちがしました。

私は特に皇室礼賛の人間じゃありません。
友人も同じ。

ですが、パレードを見送った後、友人が、

「なんだろう、なんか感動したかも」

と言うのを聞いて、同じ気持ちだと思ったのを覚えています。

この友人、あまり感動とかそういうの口にするタイプではないもので、びっくりして余計に覚えてたのかも。
私は感動屋なんですけどね。

それから友人は仕事に行くのでそこで別れ、夜に友人宅にお世話になることにして、私はそのまま銀座へ。
夜は夜で「提灯行列」があったんですよ。

銀座から皇居だったと思いますが、その行列に参加して、提灯ももらって皇居まで。
確か、10キロほど、とか言ってたように記憶してます。
たくさんの人に混じって、提灯を振りながら歩きました。

そして、暗くなってから皇居前で、両陛下が映る大きいビジョンを見てから友人宅に帰りました。

そのパレードで、いわゆる右翼の方達が法被かなあ、なんかそういうの着ていっぱいいたんですが、そのへんのおばちゃん達(私はまだ当時おばちゃんではなかった!)と提灯の火のやり取りとかしてるのを見て、ちょっと面白かったです。
怖い人達だと思ってたのに、普通のおっちゃん達だったもので(笑)

その時の提灯は、今もまだ実家にあります。
物持ちいいでしょ?
捨てられない人なので。

それからもう30年近くになるんですねえ。
昭和は遠くなりにけり、そして私も年をとるはずです・・・

攻めるパン屋さんの「わさびごぼうパン」

今日は病院の日で早くに家を出ました。

今日行く病院はすごくいっぱいなんですよ。
なので7時半頃に着いてももう6番でした(笑)

病院の後、薬もらって買い物して実家に行ったら大体お昼頃。

「あ、ご飯持ってくるの忘れた・・・」

実家とマンション、両方でご飯を作るので、ご飯やおかずが行ったり来たりしてる我が家、昨日炊いたご飯の残りをお昼に父親と2人で食べようと思ってたのに持って出るのを忘れてました。

取りに帰ってもいいんですが、近いとは言えわざわざ寄って車を置いて部屋に戻って、は結構めんどくさいんです。

「どうしようかなあ・・・」

考えてたんですが、今日はちょうどパンを買いにいつものパン屋さんに行くことになってたので、お昼にお惣菜パンを買って行こうと思いつきました。
昨日、他のスーパーに入ってるパン屋さんで買ったパンも少しあるし、それに何か足せば十分お昼ご飯になりますから。

色々見てて、父親には1枚目の写真の「ローストチキンサンド」をまず選びました。

父親はそこそこ保守的なので、はずれがないパンをとりあえず選んでおく方がいい(笑)

さて、私は・・・

「何これ、見たことない」

ちょっとボケてしまいましたが2枚目の写真のパンです。

ソフトフランスの上?にごぼうっぽいのが入ってる。

「よし、私はこれにしよう」

私ははずれても珍しいのを食べたい(笑)

持って帰って父親に見せ、

「半分食べる?」

と聞いたら食べるそうです。

半分に切って分けて食べました。

「わさび味のごぼうサラダ?」

うん、おいしい♪
冒険してみてよかったな~

そもそも、ここのパン屋さんは毎月のように変わったパンを出してるんですが、時々、

「?」

みたいなのもあります。

そういや、真っ黒けの「クワガタパン」を出した時もそんな感じだったんですが、後にネットで話題になったなあ。
その後あっちこっちでも作るようになったようですが、発信源はおそらく私のお気に入りのここのパン屋さんです。

私も初めて見た時はかたまりました、

「真っ黒で生々しい、怖い、こんなパン食べる人おるの?」

って(笑)

今では夏の風物詩です。

「ああ、今年もクワガタパン出たな」

って(笑)

 

元町の「あかつき湯」 ~ひよこの聞き語り(31)

前回、幼い頃に記憶にあった「丸い湯船のお風呂屋さん」について書きました。

その時に、

「赤ちゃんの時に湯船に落とされた」

ことも書きました。

その「落とされた湯船」なんですが、私はずっとずっとその「丸い湯船」だと思っていました。

それが昨夜、お風呂に入って湯船でゆっくり考えてて、

「待てよ、ちょっと違うかも」

と、思い始めました。

昨日、父親とお風呂屋さんの話をしていて判明した事実があります。

それは、

「私が赤ちゃんの頃は、まだ伯母さんは元町の家に住んでいて花隈には引っ越してなかった」

という事実です。

びっくりしました。
物心ついた頃にはもう花隈の家だったので、てっきり私を連れて母が里帰りしていたのはそこだと思っていたら、元町の家だったからです。

父親が、

「赤ちゃんの時に行ってたんは一番近いあかつき湯やった」

と言うので、

「なんで元町のお風呂屋さんが一番近いん?T湯(丸い湯船のある銭湯)の方が目の前やん?」

と食い違いがあり、色々話してて判明しました。

戦時中、「上筒井」にあった以前の家を国か軍に「接収され」、次に引っ越すはずの家も神戸の空襲で焼けてしまいそのまま母たちは広島の「風早」に疎開、戦後帰ったのがどういうことでそこに住むことになったのかは分かりませんが、祖父が準備していた「元町の家」でした。

なので、古い話、私が生まれるずっとずっと前の戦争からつながった時代の話に出てくる家だと思っていた元町の家に、私も住んでたことがあるんですよ!
本当にびっくりしました。

「花隈の家」には、どうも私が生まれた後、妹が生まれるまでの間に引っ越したようです。
母が妹を生む時に私が預けられてた伯母さんの家は、間違いなく「花隈の家」でしたから。
写真もあります。

とにかく、私を連れて母が元町の家にいた時に、「あかつき湯」というお風呂屋さんに行ってたそうです。

「お風呂に行くのに垢がついて帰るのか、垢つき湯か」

みたいに誰かが冗談で言ったと聞いて、名前を覚えています(笑)

まだ赤ちゃんの私を入れるのに、そのお風呂屋さんのおばさんが、

「赤ちゃん、一番湯に入れてあげ」

と、まだ開店するより早くかな、とにかくそんな時間に入れてくれてたとか。

ありがたいですね、人情だなあ。

おそらく、「元町の家」に泊まった時とかは、そこに行ってたんでしょうね。
少し大きくなるまでそこに通ってた話があります。
あまり楽しい話ではないんですが。

もう私がそこそこ物心ついてたらしいので、産後里帰りみたいにしていた時ではなく、もう少し大きくなった頃、そこのお風呂屋さんに少し身体の不自由な子供さん、かな、がやっぱり通ってらっしゃったとか。
行く時間帯が一緒になることがしばしばあり、その時に、その方を見て私が泣いてしまうらしいのです。

大人だったらちゃんと分かるけど、多分1歳にもならない頃のこと、母もどうすることもできず困ってたら、その子供さんのお母さんが、

「ごめんね、でもなんもせえへんからね、ごめんね」

と、謝ってくれて、

「すごく申し訳なかったけど、どうしようもなくて」

と、言ってたのを聞いたことがあります。

そういう話を色々聞いてたので、

「じゃあ、私が落とされたのはあかつき湯やったんやなあ」

と、父親に言ったら、

「いや、それはまた違う」

と、父親が覚えてた!

私が落とされたのは、大伯母の料亭の近くにあった、もっと大きい銭湯だったそうです。
どうも父親も話を聞いて覚えてたらしい。
もう落とした人2人も、それを話してくれた母も亡くなってしまっているので、どこに行ったのか永遠の謎かと思ってたんですが、思わぬところから証言を得ることができました。

そこのお風呂屋さんは名前が分かりません。
丸い湯船のお風呂屋さんは友人に聞いて分かったので、今は知っていますが、そこもずっと分かっていませんでした。
でもやっぱり「垢つき湯」の冗談が一緒になっていた「あかつき湯」は覚えてました(笑)

今は、すぐ近くに通えるような銭湯はないんですが、時々、大きいお風呂でゆっくり手足を伸ばして入りたいなあ、と思うことはあります。
スーパー銭湯でも近くにあればなあ。
今度足を伸ばして行ってみようかな。