昨日の朝、父親が病院でいつもより早く実家に行ったら、久しぶりに父親のお友達とお会いしました。
病院に行くのであまり話はしなかったんですが、その時に聞いた話です。
又聞きの又聞きになるので、そのへんはご容赦を。
そのお友達、毎日朝から散歩されてます。
その間であっちこっち、うちの父親のように知り合いができ、色んな人と話してまたうちでもその話をしてくれたりしています。
その方がお話するお知り合いのうちの1人の方、その方のご親戚が今回の水害で亡くなったんだそうです。
もうご高齢の方らしいのですが、避難所に行かずに家にいて、自宅で土砂崩れか何かに巻き込まれたとか。
そのお知り合いの人が言うには、
「高齢なので避難所に行って迷惑をかけたくないと言っていた」
「自分の家でいて死ぬならその方がいいと言っていた」
「だからあえて避難しなかったみたいだ」
今回の水害では本当にたくさんの方が犠牲になられてます。
早くから「数十年に一度の想像できない災害になるかも」と言われてたのに、どうしてこんなにたくさんの方がと思ってました。
その中には、上で書いた方のように「高齢だから避難所に行きたくない」と家にいて犠牲になった方も少なくないのかも。
よく聞く話ですが、間接的にでもつながったところからそういう話を聞き、少し身近な話になってしまいました。
残念です、すごく残念です。
「迷惑をかけたくない」
この言葉、多分本当でしょう。
うちの父親もそうですが、足腰が弱ってると少し動くのも大変になります。
慣れない避難所のトイレや、何か用事などで動くことを考えると家にいたいと思う気持ちも分からないではないです。
ですが「自分の家で死にたい」という言葉、これは半分は嘘だと思いたいです。
「家で死にたい」んじゃなく、「多分大丈夫だろう」と思っての言葉だと思いたいです。
ほぼ確実に「家にいたら死ぬ」のなら、無理してでも動いたでしょう、多分。
どこかで「今まで大丈夫だったから大丈夫だろう」そういう気持ちがあって、その方が強かったから動かなかったんじゃないでしょうか。
うちだってそうです。
「近くに大きい川がないから大丈夫だろう」
「崩れるような山がないから大丈夫だろう」
「津波が来るような場所じゃないから大丈夫だろう」
そう言って動かずにいます。
うちは結構しっかりしたマンションで、そう古くもありません。
「うちのマンションが崩れるようなら近所でどこに避難しても無理だろう」とクマ旦那さんが言いましたが、多分そうじゃないかと思います。
それに対して実家は阪神淡路大震災も経験してますし、経年劣化してます。
父親を連れてこないとと思うけど、父親が動かないと言うと、抱えてまでは連れてきてません。
それには上に書いたように、「危ない要素がないだろうから」との考えがあるからです。
「今まで大丈夫だったから」
それって行動基準にかなり影響を与えます。
うちも「今まで大丈夫だったし」で父親を無理やり連れてきませんでした。
自分がいざその立場になったらどうするか分からないので、簡単に「早めに避難してください」と言ってますが、どこでどう逃げるか、その判断ってとっても難しい。
後で「大げさだったね」「気が早かったね」と笑い話になってもいいから早めに逃げる。
頭では分かってるんですが、行動となると・・・
ほんの少しが生死をこれだけ分けてしまった。
自分の身に降りかかった時に忘れないようにしよう。
今はそれしか言えません。