「自然」カテゴリーアーカイブ

25年目の朝

時間が経ち、私にはあの時の地震で失った物がほとんどなかったこともあり、今日という日が来てもあまり話題にはしないようにしていました。

正直、当時余命わずかだった伯母の方が大事でした。
なので家族や親族が無事だと分かった途端、私の中では地震より伯母の方に比重が移ってしまったと思います。

それでも思い出します。

地震が起き、家族の無事が分かるまでの数時間、あの時のなんとも言えない気持ち。

伯母と2人だけで生き残ったのだとしたら、近々私は一人になってしまうのかも知れないと思ったあの時の気持ち。

そんな不安をできるだけ口には出さないようにしてたつもりなのに、何かあると伯母が「ごめんな、おばちゃんがおらんかったらあんた家に帰れるのに、ごめんな」と私に謝り、それも本心であるために伯母に対する罪悪感と、家族の無事を確かめに帰りたい気持ちの間で辛かったこと。

家族の無事が分かってお互いにほっとしたこと。

そしてその時、電話がつながった時の母の第一声が「あんた、おばちゃんに助けてもろた」だったこと。

もしも自分の部屋で寝ていたら、地震のことなど考えずに積みに積んでいた家具や本やアルバム、オーディオ、そんなものにつぶされて少なくとも大ケガする、いや多分命を落としていただろうことを知った時のぞっとした気持ち。

何より一番不思議だったのは、一気に数えきれない人が亡くなったのに、私の中で一番死に近かった伯母がまだそばにいて、命の期限など考えたこともなかった人がいなくなっているという事実。

人間っていうのは、みんな同じだけ死に近いものなんだと実感したはずなのに、気がつけばそんなことすっかり忘れてしまってます。

もう25年だけど、今日が来るとやっぱり一気に当時の気持ちに戻ります。
時間の長さなんて関係ないんだなと思います。
それでも普段はすっかり忘れてしまってます。

少なくとも今日だけでも、やっぱり思い出さないといけませんね。
忘れてはないんですが人間って自分と距離がある痛みであるほど薄れて感じてしまいます。
本当に紙一重で運よく助かっただけ、そのことを肝に銘じて生きていこうとあらためて思いました。

日本に住んでる限り地震と縁がない生活はできません。
いつか来るかも知れない日を忘れない、それに備えていざという時にできるだけのことをする、それしかできないけど、それすらできないようになってはいけない。
あの日のことを無駄にしないためにも、深く心に刻もうともう一度思いました。

まんまるおつきさま

昨夜は満月でした。

今は日が落ちるのが早く、実家から帰る時間にはもう暗くなってきています。

帰る時、実家の前の池の上にまんまるなお月さまが出ていました。
そういや今日は満月やったなあ、と思いながら車を出し、右折して県道を南下、次の信号で左折すると、一度は左に廻ったお月さまがまた正面に戻ってきます。

本当にきれいなお月さまでした。
スーパームーンではないけれど、空気が冷えてきた分澄んだのか、白く丸さが分かるお月さま、きれいだなと思いながら車を走らせました。

次の信号を過ぎるとやや道が南にカーブしているので、また左側にお月さまが廻ります。
そしてその次の信号を私は右折しますが、その頃には建物に隠れて姿が見えなくなってしまう。

マンションに着いたら、もうすっかり建物の影、どこにいるのかも分かりませんでした。
それでも、白く浮き上がるお月さまを思い出し、本当にきれいだったなあとうれしくなってしまった。

これから寒さが厳しくなるけど、空の星や月を見上げるにはいい季節にもなりますね。
今は、ほとんど空を見上げることがなくなってしまったけど、たまには足を止めて、星座盤でも持って空を見上げてみようかなあ。

千葉は大丈夫なんだろうか・・・

今日は午後からお寺さんの法要があって行ってきました。

法要自体はスムーズに終了し、満足して実家へ。
着いたのは4時過ぎだったと思います。

父親に法要の時の話をしながらテレビをつけてびっくり!

「避難勧告」

そんな文字が画面の上のバシッと出て、画面の映像もなんだか表みたいなものが映ってる。

「何これ、どうしたん」

びっくりして見ていたら、あっちこっちの市町村で「避難勧告」が出ていて、その一覧表をテレビで流し、避難を促していたようです。

あんな画面、震災の時以来な気がします。
阪神淡路の時も色々な情報があんな感じで並んでました。
東日本の時もそうだったかも知れないけど、自分の身の上にかかってきたことなので、阪神淡路の時のことの方が強く記憶に残ってます。

台風は行ってしまったのに、また関東周辺で色々な勧告だの指示だのが出ています。
本当にどうなってるの・・・

特に千葉です。
千葉にはお知り合いも親戚もいます。
いや、いなくても心配は心配なんですが、知人がいると人間って勝手なもので、ぐっと身近に感じるんです。

どうかどうか、もうこれ以上のことは勘弁してください。
誰に言ったらいいのかも分からないけど、どうしてこうも続かないといけないのか。
特に千葉です、片付けるゆとりも時間もないままに、どんどんどんどん水の攻撃を受け続けてる気がします。

雨の影響を受けてる地域の方、特に千葉です、みなさまどうぞご無事で・・・
そして一日も早く復旧作業に専念できて、一日も早く普通の生活に戻れますようにと祈ってます。

カテゴリー6の可能性

また台風が近づいてますね。
せっかくノーベル賞とか明るいニュースがあったと言うのに、気分が落ち込むような台風です。

今までの台風はカテゴリー1から5までの5段階に分けられてたそうなんですが、今回は、

「今までを超えるカテゴリー6になる可能性」

って、どういうことですか・・・

写真で台風の大きさを比べてみても比較にならないぐらい大きい。
どうかもっと小さくなりますように、そしてコースをもっと右にぐぐっと曲がって日本列島から離れてくれますように。

こちらは関西、台風から結構離れて見えますが、それでも今までとは比較にならないと言われると何が起きるか分かりません。

皆様、くれぐれも命を第一に。
何度も聞いてますが、また言います。
早め早めに準備して、どうしても危なかったらやっぱり早めに避難を。
栃木のクマ旦那さんの実家にも電話してそう言っておきました。

皆様ご無事で。

白い曼珠沙華

秋のお彼岸の頃になると、タイトルにある「曼珠沙華」があちらこちらで見られるようになります。
別名「彼岸花」の通り、時期が来るんですね。

実は、私はこの「曼珠沙華」がちょっと苦手です。
畑の土手やそのへんからいきなり赤い花がにゅっと伸びてるのを見ると、少しドキッとします。

どうしてかなと考えると、どうも「横溝正史の世界」っぽいイメージが苦手みたいです。
うちのご近所にはありませんが、なんか村外れのお地蔵さんやお墓の周囲にぼおっと咲いてて、そのあたりから印象の薄い女性見えて、みたいな。
お化けと混ざってる気もしますが、なんとなくその感じが怖いのです。

そして名前も怖い。

曼珠沙華

この字がすでに怖い。

そしてもう一つの名前も。

彼岸花

怖くないですか?
私だけ?

見た目がいきなり茎が伸びてあまり明るくない赤い花が、それも細いのが何本も伸びて怖いのに、名前もなんだか怖い。

調べてみたらさらに別名がありました。

・地獄花
・幽霊花
・死人花
・狐花

・・・・・・

やっぱり怖い名前がいっぱい!

さらに、

「根っ子と花に毒がある」

と聞いて、もっと怖くなりました。

畑の周囲に植えてあったりするのは、根っ子の毒でモグラ避けの意味もあるらしいので、人間の役に立ってるんだなあ、とは思いますが、やっぱりちょっと怖い。

英語でなんて言うか知ったら怖くなくなるかもと思ったら、英語だと、

「リコリス」

って、あれ?ハーブ?

だったらあまり怖くないかもと思ったら、いわゆる「リコリス」は「甘草」で同じではんないんですね。
こっちのリコリスちゃんは食べると害になるらしく、やっぱり好きになる要素にはなりませんでした。

それが、

「これは怖くないかも」

という曼珠沙華に出会いました。

先日行った病院の花壇、そこにも生えてたんですが、その曼珠沙華が白かったんです。
横を通りかかった時もすぐには気づきませんでした。
だって白いんだもの。

少しクリームがかったような、見ようによっては花嫁さんのベールのようなその姿には怖さを感じませんでした。

ということは、私が曼珠沙華に感じる怖さって色に起因する部分が大きいのかも知れませんね。

他にも毒のある花もあるだろうし、世界に一つだけの花じゃないけど、人を怖がらわせようとして咲いてるわけではないし、逆に役に立ってる部分もあるのに、なんでかこれだけは苦手だったんですが、白いのを見てちょっとだけ意識を変えてみようかなと思いました。

秋はこれから冬を迎えるのに日が短くなったりしてさびしくなる季節。
そのさびしい気持ちと一緒になって怖い花が強調されてたように思います。
さびしい季節に赤を添えてくれる花、って思えるようになったらいいな。
一生懸命咲いてるんですもんね。