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2日ぶりの父親だけど

土曜日に妹が来てくれて、私も午後から珍しく出かける用事があったもので、そのまま実家のことは妹に任せて実家には行きませんでした。

そして昨日は日曜日、店も私も休みの日です。
用事がない限り実家へは行かないことにしてます。

そういうわけで、珍しく2日続けて父親の顔を見ませんでした。
本当に珍しいんですよ、こういうこと。

時々体調を崩したりして2日実家に行けない日があったりしますが、そういう時はものすごく心配です。
電話は一日に何回か決まった時間にかけてますが、顔を見ないとやっぱり心配です。

でも今回みたいに妹が来てくれて、誰かが父親のそばにいてくれると思うと、本当に安心して離れていられます。
土曜日も、もしも妹が来なかったら、朝から買い物行って父親のところに行って用事を済ませてから出かけてたと思います。
その分ゆっくりさせてもらいました。
本当にありがたいです。

それと同時に、うちは恵まれてるなあとも思いました。

妹宅から実家までは車で1時間程度だと思います。
その距離でもまだ近いですよね。
もっと遠く、その日のうちに行けないぐらいの距離に離れてる人も多いです。
うちもクマ旦那さんの実家へは、時間によったらその日のうちの着けない場合もありますから。
うちの実家とは目と鼻の先、信号に引っかからなくて走ったら5分もあれば着ける距離です。

こうして、たまに2日続けて顔を見ない日があると、あらためて本当に運がいい場所に家を持てたなとしみじみ思います。

妹が来てくれて連休に

今日はお昼から出かける予定がありました。

「出かけるまでに父のご飯してそれからあれしてこれして」

と、色々考えてたんですが、

「お彼岸でお参りに」

と、妹が来てくれて、父親の今日と明日のご飯をしてくれました。

本当に助かります。
今は特に、まだ右手が使えなくてご飯が作れないので、買ったおかずやお弁当ばかりじゃなく手作りのご飯を作ってもらえてうれしいです。
お米もとげないので無洗米使ってますし。

おかげさまで、朝からちょっとゆっくりしてから出かけられました。
明日も日曜日でお休み、なんとなく連休っぽいお休みとなりました。

さすがに3連休は無理ですが、2日続けて実家に行かないことは本当に珍しいのです。
続けて父親の顔見ないと心配なんですが、今日は妹が来てくれてたら、出かけてもすごく安心できます。
本当にいいお休みいただけたなあ、ありがとう。

あいたた最中

昨日は私はお休みの日で実家には行かなかったんですが、その間にいとこが来てくれてお供えにお菓子を持って来てくれたようです。

う~ん、ここのところいとこが来るのが早く、お返しを準備してないとか、私がいない時に来てしまう。
次回は負けないようにしようと思ってますが、はて、そんなに早く準備しておくものでもないし、とちょっと困っております(笑)

今回持って来てくれたのは写真のお菓子です。

「あいたた最中」

加古川に「鶴林寺」というお寺がありまして、そこの仏像「あいたた観音」にまつわる伝説を元にしたお菓子です。

昔々、観音様を盗んだ泥棒が溶かして金属にして売ろうと思っていたんでしょうね、溶かそうとがんばったんですがどうしても溶けず、腹立ち紛れに観音様を蹴飛ばしたところ「あいたた」とおっしゃったのでびっくりしてお寺に返した、そういう話があるんだそうです。
そのお話にちなんで「あいたた最中」というお菓子を作ったとか。

模様は観音様の腰のあたりで、泥棒が叩いたので少し腰が曲がっているのだそうです。
面白いですね。

味はもちろんおいしい最中です。
食べても痛くはなりません(笑)

ところで、多分昭和の時代、この鶴林寺だったと思うんですが、やはり仏像を盗んだ犯人がいて、4人組だったんですが、次々と仏罰に当たってひどいことになり、とうとう最後の一人が仏像を持って自首してきた、という話を聞いたことがあるんです。
今回調べてみたんですが、出てこなかったです。
う~ん、他のお寺だったのかなあ、新聞とかにも載ったと思うんですが、あまり記憶がはっきりしません。

「鶴林寺」は「かくりんじ」と読むんですが、子供の頃、遠足で行ったか何かの時にまだ小さかった妹が「つるりんじ」と言い、それ以来我が家では「つるりんじ」と呼んだりしてて、ある時「つるりんじでこんなことがあったらしい」と話をした覚えがあるんですけどねえ・・・
覚え間違いかなあ。
それとも、「あいたた観音」と何かの話が混じっているのかな?

なんにしても、仏像を盗むような犯人、さらに溶かして金属にしてしまおうなんて罰当たりはちょっとびっくりさせないとだめかも知れませんね。

竹やぶを抜けると・・・ひよこの聞き語り(44)

母親の疎開時代の汽車にまつわる話をいくつか書きました。
それでもう一つ思い出した話があります。
正確には汽車は直接関係ないです。
汽車を降りて家に帰るまでの間の出来事、通学路での出来事ですが、汽車を降りた時の母の気持ちを考えると、なんと言っていいものやら・・・(笑)

「田舎のニュースは早い~ひよこの聞き語り(41)」で、母が住んでいた家の位置が「駅と駅の間」と書きました。
家の位置を通り越し、次の駅で降りて戻るわけです。

その戻る道ですが、田舎なのでもちろんさびしい道です。
同じ汽車で降りて同じ方向に帰る人がいたらお連れさんがいるわけですが、いなかったら一人でさびしい道を歩いて帰ることになります。

途中、竹林を抜けると一軒の家が見えてきます。
ある時、その家のおばあさんが亡くなりました。

知っているおばあさんではありますが、母とは親戚でもないし、普通に学校に行き、普通に授業を受け、普通に帰ってきました。

駅を出て、いつもの道をいつものように帰ってきたのはもう夕方だったらしいです。
女学校の授業が終わって帰ってくるんですから、まあそのぐらいにはなるでしょうね。

竹やぶを抜け、いつものようにその一軒の家が見えてきた時、誰かが座っているのが見えてきました。
うちの母親は結構きつい近視でした。
多分、その頃はもう近視だったと思うんですが、メガネをかけていたかどうかはではちょっと分かりません。
分かりませんが、遠くがはっきり見えてはいなかったと思います。

誰かが座っているのは分かったけど、誰かは分かりません。
どんどん歩いて家に近づき、その人が誰か分かって腰を抜かさんばかりに驚き、転がるように走ってその場から逃げました!

座っていたのは、亡くなったと聞いていたはずのおばあさん!!!

これは怖い!
竹やぶを抜けて、ぼんやりと見えてきたのが亡くなったと聞いたはずのおばあさん!
私だったら泣きながら腰を抜かすか気絶するかも。

家にたどり着き、亡くなったはずのおばあさんが!と言って、理由が分かりました。

当時、今と違って亡くなった方を入れるのは「座棺」と言って、時代劇とかで見る桶のような丸い棺だったんです。
その棺に入れるのに、亡くなったおばあさんを座らせて布団で巻いたんですね。
死後硬直が始まる前に、そうして型をつけておいたんだそうです。
母が見たのは、その姿だったんですね。

いやいやいや、実物の遺体も怖いって(笑)
なんで外から見えるところにそんな形で(笑)

それからしばらくの間、とても一人では帰れず、誰だったかな、誰か知ってる方に一緒に帰ってもらうようになったらしいです。
うん、そりゃそうだ(笑)

その道しかなくて仕方なかったらしいけど、私だったら学校行けなくなってたかも知れません(笑)

山の上まで進駐軍~ひよこの聞き語り(43)

「パパは進駐軍見たことあるん?」

ふと思いつき、今日父親にこんなことを聞いてみました(笑)

だって、母親の話にはちょこちょこ出てきてたんですよ、進駐軍。
元町に住んでいたからか、家のところに座っていたら話しかけてきたとか、靴を履いたまま間違えて家に入ってきたとか、父の職場に行ったらコーラを出してくれたとか。

ですが、父親の話に進駐軍が出てきたことは多分ないと思います。
そもそも住んでたのが田舎で、戦争が始まったり終わったのすら後から知ったような環境です。
そんな環境に進駐軍なんか来てたとは思えない。
失礼な言い方ですが(笑)

そうしたら、

「あるある」

と、思わぬ答えが!

「それは神戸に来た後?神戸に何年に来たんやったっけ」
「来たのは27年やけどいなかでも見たことある」

ええっ、そうなん!?
すごくびっくりしました。
まさか、あんな山の上にまで進駐軍が?

「何のために来たんやろ、あんなとこまで来て見るもんある?爆弾とか落としても弾の無駄遣いになるようなとこ・・・」

と言ったら父親が笑ってました(笑)

「なんでか分からんけど山の上まで見てまわってた」

らしい。
まあ、とりあえずどんな場所でも調べないといけなかったのかも知れませんね。
どこかに何かを隠したりしてるかも知れないし。

そういうわけで、もちろん神戸に出てきてからも見てますが、いなかにも進駐軍はやってきてたらしいです。
山の上に登っただけ、らしいですが(笑)