今日はおじさんおばさんの家、いとこの実家を片付けてもらう日でした。
私も少しだけ行って来ました。
見積もりの時にも立ち会ったんですが、プロの片付け屋さん、亡くなった方の遺品整理もやってらっしゃる業者さんだけあって、なんというか心遣いが細やかでした。
普通に片付けたり捨てるだけではなく、こちらの気持ちに沿って作業してくださるんです。
その仕事の現場に立ち会えて勉強になりました。
まず、なにか手伝うつもりでしたが出る幕ない(笑)
私以外にもいとこ夫婦、いとこのいとこ(おじさんの方の)と姪、いとこの夫のお姉さんも来られてたんですが、主婦3人でできたのはほぼおしゃべりだけ(笑)
それでもまあ、枯れ木も山のにぎわい、程度になったかな、とは思ってます。
でも本当、その程度・・・
「何かあったら持って帰ってね」と言われてましたが、私はもう何ももらうつもりはありませんでした。
形見分けには少しいただいた物があったし、今日は、それこそ思い出で考えてたらどれもこれもになってしまう。
だから、見るだけ、見送るだけ、そうしようと思ってました。
それでも、信楽焼のたぬき、はんこ入れ、花瓶(うちから貸していたもの)と、1冊の冊子が目にとまってもらって帰ってきました。
「この中のはもう処分するから」
と言われた中に入ってた冊子、「ひよこの聞き語り」として勝手に色んなことを書いているので、神戸の昔のことが知る資料ぐらいに思って持って帰ったんですが、読んでみてびっくりしました。
「あ、○○のおばあちゃん(大伯母)のことが載っとう!」
うちの母方の一族の長だった大伯母、花隈で料亭をやっていたおばとその料亭のことが数ページに渡って載っていました。
知らずに持って帰ったんです。
「ああ、だからおばちゃんはこれを持ってたのか」
納得しました。
大伯母の子供の時のこと、結婚した時のこと、商売を初めて作った店が戦争で焼け、戦後また店を建て直したこと、そんなことがまとめてありました。
その中で、
「お正月には一族数十人が集まる、子供達が三十畳の広間で楽しそうに遊んでいる」
みたいなことが書いてあったんですが、この「子供達」の一人が私でした(笑)
私達姉妹、いとこ、いとこの子、同年代の母のいとこの子供達、年によって変動しますが、10人近くがきゃあきゃあ遊んでたこともありました。
昭和55年発行の本ですが、その数年後に大伯母がなくなり、料亭は傾いて廃業してしまいます。
まだこの頃はそういう本に載るぐらいにはしっかりやっていたんだなあ。
片付けの最後まではいられなかったんですが、この本をもらって帰れて本当によかったです。