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薄く削れるバターナイフ、体温で溶けるバターナイフ

手をケガして色々困ったことがあったんですが、その中で、

「え、こんなことが」

と思ったのが、

「バターナイフが使いにくい」

でした。

バターナイフって片刃なんですよね。
なので左手で持ったら刃が上になって使えない。
右手で普通には持てないので人差し指と中指の間に挟んだらが、バターが硬くて押せない。
それで結構困りました。

その話をしたらお友達が、

「体温で溶けるバターナイフを使ったら?100均にもあるよ」

と、教えてくれました。

え、そんなに安くにあるの?
そう思って早速100均へ。

「あ、あった」

思ったより小さくて薄いけど体温で切れるバターナイフありました。

そしてその横には「薄く切れるバターナイフ」も。
これも気になってたんですよね。
でも、どちらもテレビで見たらもっとお高かったです。
今使ってるバターナイフがあるし、試すにはちょっと、と思ってたので早速両方を買って試してみました。

ちなみにどちらも日本製です。
今は日本製が増えてうれしいですよね、100均♪

まず薄く切れる方から使ってみました。

「おお、削れる削れる」

バターの上をすっとなぞると、薄くスライスされたバターが出てきました。
あまり力も必要なく、しゅるしゅるっと好みの量だけ削って使えます。
思った以上にいい感じでした。

次に体温で切れる方を。

「そんなに軽い?」

正直、切った最初はそう思いました。
先に薄く削れる方を使ったせいか、もっと軽く刃が入っていくようにイメージしてたからです。

でも、今までのを使ってみると、

「あ、確かに軽い、力少なくて済むわ」

と納得。

刃が薄いせいもあるかも知れませんが、比べてみるとずっと楽です。
これだったら右手の人差し指と中指で押さえても痛くない。

どちらも108円でこれだけの効果、うーん、すごい。

大抵のものが高いのが出て、次に似たようなものが100均で出てきますね。
なんだか100円で買うのがもったいないような物が、それも日本製で出てきて、うれしいような「本当にいいの?」と思うような、そんな気持ちになりますが、正直ありがたいです(笑)

大阪桐蔭の根尾君

木曜日にドラフトがありまして、今日になってもまだニュースで色々やってますね。

私は以前から言ってる通り、自分が全く運動神経がなく、運動会は雨が降ればいいのにと思っていた方なので、運動競技にはほぼ興味がありません。
フィギュアみたいに普通の運動とはちょっと違うような、そういう芸能的要素のあるものは別ですが、普通に走ったり飛んだりボール追っかけたりとかはほぼ興味がないと言っていいと思います。
サッカーだけはなぜか例外的に好きですが、それでも好きという割にはテクニカルなことはあまり分かってない感じもします。

なので、ドラフトとか聞いても「また今年もその季節か」とか「ちちんぷいぷいが1時間短くなった」ぐらいの意識しかありません。

今年も同じような感じだったんですが、さすがに秋田の吉田君と大阪桐蔭の根尾君の名前には耳が反応してました。

吉田君はまあね、言うまでもなく、今年大きく話題になったあのチームのあの選手ですから。
記憶に残りますよね、あの高校は。
「甲子園の空に笑え」というマンガが大好きだった私の心にも、しっかり引っかかりました。

普通だったらここまでなんです。
あまり強い有名な学校のチームとか聞いてもあまり心に残らない。
もちろん選手にも。
何か社会的に話題になることでもあれば別ですが、普通にいい選手だと「へえ」ぐらいで終わってしまいます。

なので例年通りだったら、根尾君という選手もするっと頭の中を通り過ぎるだけで、何年かしてプロ野球で活躍して「大阪桐蔭の選手」と聞いても、元がどこの出身だったかとかすぐに忘れてしまってたでしょう。

ですが、今年は違います。

私は午後はほぼ実家で家事とかしながら過ごしてるんですが、その時に見るというより聞きながら作業する番組が決まってます。
平日お昼は大部分が「ちちんぷいぷい」です。
つまり、お昼のチャンネル権は私にあるのでした。
父親はそれを一緒になって見てる感じです。

父親は野球好きです。
学校では野球部に入ってて、会社でも野球チームに入ってたぐらい野球が好きです。
なので高校野球だのワールドなんとか、日本シリーズ、みたいな特別な時には「野球にしたら」とチャンネル変えてすすめます。

この夏もこうしてテレビでは高校野球がかかり、父親がキッチンのテーブルで座ってそれを見て、私は耳で聞くともなく何か音声が入ってくる状況でご飯を作ったりしてました。

準決勝だったか決勝だったか忘れましたが、手が空いたので、

「どっちが勝っとんの?」
「どうなっとん?」

と、ちらちら父親に聞きながら、座って新聞読んだりしてました。

そのたびに、

「今はどこどこ」
「あ、入った」
「どうこう」

と、父親が解説してくれてたんですが、ある時、

「あ、これがええ選手やよう打つ」
「ふ~ん、そうなんか、なんて選手?」

と聞いたら、

「大阪桐蔭のオネや」
「へえ、オネ君」

と納得してたら、テレビでどうも違う名前を言ってる・・・

「オネ君?ネオって言うてへん?」

そう言ったら、

「あ、ネオや、根尾」

なんで、その、2文字を、間違える、かな!

それがね、もうツボにはまってはまって震えるほど笑ってしまった(笑)

「もう大阪桐蔭の根尾って一生忘れへんわ」

そう言いながら大笑いしてしまいました(笑)

なので、今回もテレビで名前が出たら父親に、

「根尾言うとんで、オネちゃうで」

とからかって笑ってました(笑)

この先、根尾君の名前がプロ野球のニュースとかで出るたびに、心のどこかで「大阪桐蔭のオネ」を思い出すでしょう。

そして何年か経ち、例えばクイズ番組で、

「◯◯球団の根尾の出身校は?」

と出題されたら、

「大阪桐蔭!」

と、自信を持って解答できます(笑)

他の人とはちょっと違った高校野球の思い出、でした(笑)

渋滞の理由

今日は燃えるゴミの日です。

いつもでしたら、大体6時半頃にゴミを捨てに出ます。
ですが、今日はあえて捨てません。

どうしてかと言いますと、実家のゴミを出さないといけないからです。

以前はゴミをまとめておいたら父親がゴミの集積所に持って行って捨ててました。
ですが、足腰がね、ちょっと弱ってしまってちょっと難しくなってしまった。
それで普段は前日に持って帰って私がうちのと一緒にマンションの集積所に捨てるんですが、たまに大きいゴミとかがある時はさすがにわざわざ持って帰るのも大変なので、早めに実家に行ってそちらに捨てることになります。

いつもはそれでうまくいくんですが、以前、一度マンションのゴミを捨ててしまったら、実家のゴミのことをすっかり忘れ、気づいたらもう収集が来てしまって捨てられず困った、ということがありました。
それで、実家のゴミを出す時には、あえて捨てずに玄関に置いておきます。
こうしておけば忘れない(笑)

実家のゴミを捨てる集積所は距離的には近いんですが、間に県道があります。
そしてそこそこ交通量が多い。

さらに集積所は三叉路とカーブになっていて、車が来ても見えにくい。
そんなところによちよち歩きのおじいさんが歩いてゴミを捨てに行くのは非常に危険です。

それで持って帰るようになった、というわけです。
距離的には、県道さえなければちょうど歩いて運動的にいい距離なんですけどねえ、仕方がないです。

以前はそこまでではなかったんですが、実家から少し離れた場所が開拓されて家やお店が増え、今ではそのあたりが新しい繁華街みたいになってから増えました。

原因は実家のすぐ下の交差点が一つ。
以前は直進と左折しかなかったの、その新しい繁華街に向かう方面の右にも道ができたので右折の車が曲がって進むまで後ろの車が進めなくなり、そのために渋滞が起きてしまう。

もう一つは抜け道として使われるから。
昔は実家前の県道がメインストリートだったんですが、もっと昔の開発でそれより東に1本向こうに広い道ができ、バス道となり、そちらがメインストリートになりました。
北にある高速道路のインターから出てきた車もたくさんこの道を通って国道まで進んでます。
トラックとかコンテナ積んだような大きい車も結構いますね。

ところが、そちらのバス道が混むもので、抜け道として実家前の県道を使う車が増え、場合によるとこちらの方が混むようになってしまった。
実家の前は向こうの通りまで大きな池で、あちら側が見えるんですが、あっちが空いてるのにこっちは渋滞中、なんてこともあります。

ちょうど夕方、私が実家から帰る時間帯は日によってはものすごく混んでます。
実家から県道に出るのに5分以上待つ、なんてこともざらにあります。
私は右折して坂を下って帰るんですが、そっちのラインが坂の上までずっと渋滞で、仕方なく左折してぐるっと回ってからでないと帰れない時もあったりします。

はあ、もうちょっとなんとかならないかなあ。
元々が古い県道なので、あれだけの車を受け入れるだけのキャパがないんですよね。

どこにどう言っても多分なんとかならないんだろうなあ。
なんとかするには道を広げるか増やすしかないでしょう。
もうちょっと西に南北に向かって道ができそうにも思うんですが、何年かかることやら。

そういうわけで、多分今日も、車で5分の距離を帰るのに5分以上待つんだろうな、と考えてます。
やれやれ・・・

「まんぷく」の鈴さんに似てる気がする「おばちゃん」~ひよこの聞き語り(45)

10月から朝ドラが新しくなって「まんぷく」が始まりました。

1回目から欠かさず見てるんですが、今日、ちょっとあることを思い出して愉快になってしまいました(笑)

「なんか、この鈴さんってちょっとおばちゃんに似てるかも」

私の母の一番上の姉であるおばさんです。
私が中学の時に亡くなったんですが、ふと思い出しました。

「鈴さん」とは、主人公の「福子」のお母さんなんですが、

「私は武士の娘です」

が口癖で「松坂慶子さん」が演じてらっしゃいます。

「私は武士の娘です」というと、大抵が貧しかったとしてもキリッとしてしっかりして、いざとなると懐から懐剣でも出してきそうな娘さんをイメージしますが、この「鈴さん」は全然違う(笑)

始まった最初の月曜日と火曜日、

「このお母さん、武士の娘って言いながら全然そういう感じに見えない」

と、ちょっと変な感じがしてたんです。

ですが、それがなんというか「狙い」だったんですね、3日目の水曜日あたりで分かって笑ってしまった(笑)

「武士の娘」と言いながらさびしかりで文句が多くてすぐすねる。
それでいて負けず嫌いで見栄っ張りでプライドだけはめっきり高い。

なんかボロカスですが、それでいて愛すべき人って感じなんですよね。
そういう部分、おばちゃんになんか似てる(笑)

母の一番上の姉ですが、母とは15歳離れてました。
そしておばちゃんの次、長男の伯父とも7歳離れてます。
間で一人亡くなっているからだそうです。

兄弟姉妹の中で一人だけ年が離れていて、お姫様みたいに甘やかされて育てられていたそうで、自分を一番にしてくれないとすねる、みたいなタイプだったなあ(笑)

さびしがりだからか、他の兄弟姉妹、そして自分の娘が結婚する時も全部に文句言ってケンカして「結婚式に出席しない」をやってます。
一番最後、もう年齢もいってから結婚した母の上の伯母の時だけは、さすがに言わなかったらしいですが。

元々が結構な大家族で生活してたので、祖父母が亡くなった後、戦死して夫もおらず、一人ずつ家族が減っていくのがさびしかったんでしょうね。
そのさびしさが不満や愚痴になって、でも正直にさびしいと言えなくてみんなを怒らせてケンカして、とそういう風になったようです。

うちの両親の披露宴は「花隈」の大伯母の料亭でやったんですが、それにも絶対参加しないと言いながら、普段着にエプロンで、大広間の外の廊下に座って見てたとか。
母が「あそこまで来るんやったら出ればいいのに」と思いだしてはぷりぷりしてたなあ。

当時「元町の家」に住んでた母が、もう少し西の「荒田町」にあった父が間借りしてた部屋に荷物を運ぶ時に、

「これもうちのやから、これも、これも持っていかんといて、触らんといて」

と、片っ端からいちゃもんをつけるのでひどくケンカをしたらしいです。

そしてそんなことを言っておきながら、

「トラックに荷物を積んで紅白の幕を張って吉日に荷物を出すように」

と言うので母が、

「嫁入りダンスは家具屋さんから送ってもらうし、そんなに持っていく荷物がないからそんなんいらんから」

と言うと、

「嫁入りするのに世間に恥ずかしい、花嫁の荷物も出さへんなんて」
「トラック出すほどの荷物ないのにどうやって幕張るんよ」
「両端に荷物乗せて間開けて上から幕張ったら分からへん」
「あっちに着いて幕外したら空っぽって分かるやん、そんな恥ずかしいことできへんから!」

と、言い合いになったとか(笑)

他にも、

「もう出て行ったら帰ってこんでええ」
「帰ってこんわ」
「来ても水しか出さへんから」
「帰ってこえへんのにどうやってお水なんか出すんよ!」

とか、なんか漫才?って感じの言い合いがいっぱいあったらしいです(笑)

当時は母もものすごく腹を立てての大げんかだったらしいんですが、想像すると私は笑ってしまいます(笑)

そして結婚式の時までそういう感じで完全に母は怒ってしまい、新婚旅行に行ってもおばちゃんにはおみやげを買わないと言ってたらしいのです。

そうしたら父が、

「お姉さん一人にそんなことできん、だったら自分が買う」

と、新婚旅行先で腕時計を買ったんだとか。

そして、旅行から神戸に戻った時、新居ではなく一番におばちゃんの家に顔を出し、父がその腕時計を渡したら、ポロポロ涙を流してたらしいです。
じわっときますよね。

それまで、自分の兄弟姉妹も他の人のことも文句ばっかり言ってたらしいんですが、他の方が言うには、

「◯◯さん(うちの母のことです)のご主人のことだけはほめることはあっても悪口を聞いたことがない」

らしいです。

それまで誰とでもケンカしてたのはさびしかったから、一人になるのが怖かったから。
それを父が、どこよりも一番に自分の家に帰ってきてくれて、しかもそんな高いお土産までくれた。
物が欲しかったとか、言うことを聞かせたかったとかではなく、さびしい気持ちを分かってもらって泣けたんじゃないかなと私は思います。

そうそう、その腕時計、長く大事にしてたらしいんですが、近所の子供たちに勉強を教える仕事をしてたので(塾みたいなもんです)しょっちゅう人が出入りして、気づいたらなくなっていたとか。
えらくがっかりしてしょげてたらしいですが、私はその実物も見たことないし、おばちゃんから聞いたこともないなあ。

結局、私が生まれた時も母はおばちゃんの家に里帰りし、それからも毎週のように実家のように帰るようになり、私が物心つく頃にはそんなトラブルメーカー的なこともめっきり減り、とてもかわいがってもらいました。

そのおばちゃんがね、

「これからはみんなパパママでないと」

と、みんなにパパママ呼びを推奨し、なぜだか自分までうちの父親のことを「パパ」と呼ぶようになったせいか、他の人までみんなうちの父親を「パパ」と呼ぶようになってしまってました(笑)

そのおかげで私はいい年になった今でも「パパ」呼びが残ってます。
他の人達はみんなそこそこの年齢で「お父さん」に変わったのに、うちだけ残ったのはほぼ間違いなくおばちゃんのせいだ(笑)

うちが今の場所に引っ越して父親が商売をすることが決まり、家が遠くなるのをさびしがりながらも、客間をおばさんの部屋にと両親が言ってたので、それを楽しみに楽しみにしてたのに、待ちきれずに引っ越す半年ほど前に亡くなってしまいました。

私は、高校受験と引っ越し、父親の転職開業と色々なことが重なって、あまりおばちゃんにやさしいこともしてあげられなくなってたと思います。
もうちょっとだけいてくれたなら、もっと、もうちょっと何かしてあげられてたのに、と胸が痛くなるおばちゃんとの聞いた話と、自分が見てきた話でした。

朝からガゴーン!

今朝、お風呂場に洗濯物を干そうとしてやってしまいました・・・

お風呂場の入り口で洗濯物を持った右肘を、

「ガゴーン!」

とぶつけてしまった!

痛かったです・・・
電気走りました・・・
ぶつけたのは右肘だったのに手首から肩まで、いや通り越して頭まで電気が走りました・・・

いったいですよね、あれ!
息つまります。

せっかく右手のケガが治ってきたのに、こんなことでまた使えなくなったら困ると思いましたが、幸いにも痛みがなくなってます。
一瞬ですがめちゃくちゃ痛かった・・・

もしもクマ旦那さんが知ったら、

「もう、またこの人はドジっ子なんやから気をつけて!」

って怒られるなあ。

私は決してドジっ子じゃないと自分では思ってます。
実際にかなりしっかりしてる方だと思う。

なんですが、クマ旦那さんの目にはドジっ子に見えるらしいんですよね。
ずっと「しっかりした子」で通ってたので新鮮でした(笑)

それでも、確かにあっちこっちぶつけることは多いです。
というか、みんなもぶつけてるもんだとばかり思ってました。

何かの時にそう言ったら、

「普通はぶつけないから」

と言われてびっくりしたなあ。

あれは、誰と話してた時だっただろう?

ってことは、やっぱり多少はドジっ子の片鱗がないことはない?

いえいえ、やっぱり私はしっかりしたお姉ちゃんでいこうと思います。
だって、ずっとそれできたんだから!

だから、今朝ぶつけたこともクマ旦那さんには・・・

黙ってられないんだろうな、言うんだろうな、きっと(笑)