前回、前々回は戦時中の食事事情?のことを少しだけ書きました。
今回も食事のことです。
戦時中は色々な食べ物が配給制だったらしいのですが、その他にも「配給切符」のようなものがあったらしいです。
ただ、その「切符」を持っていても確実に食べ物が手に入るわけではありません。
多分、まだ神戸にいた頃かなあ、神戸の空襲より前のことじゃないかと思いますが、その「切符」にまつわる話を聞いたことがあります。
母の一番上の伯母さん、一人だけ年が離れた姉なので、母とは15、叔父とは18の差があります。
ほとんど親子みたいなものですね。
2番目に長男の伯父が生まれるまで、一人っ子のお嬢さんみたいに育った人なので、なんというか、まあ色々とかわいらしかったり色々逸話があります。
もしかしたら、祖父の一番いい時代に育ったからかなあ。
母や叔父ともそれだけ年が離れてるのにケンカしたり、色々あったようですが、
「配給の噂とかをどこからか聞いてきて、一緒に連れて行ってくれてた」
らしいです。
「切符」があっても長時間並ばないと手に入らない物も多いのに、
「どこどこのなんとかいうお店でお箸が立つ雑炊を出すらしい」
とかの情報を手に入れてきて、母と叔父を連れて長時間並んでは、
「ほんまにお箸が立つ」
とか言って、一緒に食べさせてくれてたとか(笑)
他には本物の甘い物とか、
「ほんまにどこから聞いてきてたのかよう知ってた」
とか。
もうかなり食料事情が悪くなっていた頃らしく、そうやって出す雑炊でも、お米なんかちょっとしか入ってなくて、お箸が立たないのが多かった頃に、本当にお箸が立つ雑炊はおいしかったでしょうね。
私がまだ小さい頃、アイスクリームケーキというと、クリスマスの時期にしかありませんでした。
その珍しいケーキを、この伯母さんがクリスマスの時には持って来てくれてたなあ。
そうそう、元町に初めて「マクドナルド」ができた時も、
「あそこはケチャップも自分のとこで作っとうねんて」
と、おみやげに持って来てくれてました。
そういう「新しい物」「珍しい物」が好きな人でした。
あ、そういえばこんなことも思い出した(笑)
伯母さんがある時、電話で、
「今度「おさつくっきー」というお菓子が出て、買うたげてるから今度来た時に食べ」
と言ってくれて、すごく楽しみにして行きました。
私は勝手に「お札クッキー」と頭の中で変換していて、
「外国のお札の形とかしたクッキーかな」
と、ドキドキして行ったら、
「サツマイモで作ったスナック」
で、すごくがっかりしたんだった(笑)
小さい頃の母と叔父も、なんだかんだ言いながら、伯母さんに引っ張り回されて、ある時には当たりに喜んで、ある時にははずれにがっかりしてたのかな。
なんとなく、様子が浮かぶように思います。