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典型的理系だった伯父 ~ひよこの聞き語り(25)

「ひよこの聞き語り」を書き出して、多く書いてるのは母の父、祖父のことじゃないかと思います。
会ったことない、写真しか知らない祖父ですが、たくさん話を聞いてるので、どうしても母方祖父母に話が偏りますね。

会ったことない祖父ですが、写真を見てそっくりだと思う伯父のことを今日はちょっと書きたいと思います。

上から2番目、長男だった伯父ですが、大層出来が良かった人です。
「らしい」じゃなくて言い切れるのは、本人を知ってるから。

ですが、私が知った頃には、かなり柔らかくなっていて、若い頃に絵に描いたような優等生の姿はあまり・・・(笑)

聞くところによりますと、幼い時から勉強が良くできて、今の「神戸高校」当時の「一中」から今の「京都大学」当時の「京都帝大」にずっと一番で進学するような人だったそうです。
多分東大もストレートみたいな感じだったんでしょうが、戦前という時代からか祖父が遠くにはやりたがらなかったらしいのと、その学部は東京より京都の方が難しかったかなんかで京都に進んだとも聞きました。
何にしても、超頭が良かったらしいです。

ただ、バリバリ理系だったからか、若い頃から四角四面、なんでも曲がってるのが嫌い、真っ直ぐピシっとしてないとだめ、だったとか。

一番上の伯母さんの次、間に1人か2人亡くしてるので7年してこの伯父さん、次が3つ開いて母の上の伯母さん、間で1人幼くして女の子が亡くなり、5年開いて母、その下が2年開いて末っ子の叔父さんという兄弟姉妹です。

なので、伯父さんはうちの母親から見ると8つ上、末っ子の叔父さんからすると10も上なんですね。
母が物心つく頃には、当時の中学に行ってたぐらいですか。

伯父さんが中学高校の頃は戦前だったので、学校でも運動会などが軍事教練のようだったらしいのですが、他の生徒がみんな兵隊の恰好で匍匐前進をしてる中、成績トップだった伯父さんは台の上で司令のような役をやっていて、

「ものすごくかっこよかった」

らしいです。

若い頃の写真とか見たことあるけど、なんとなく様子が目に浮かぶようです。

当時は学生もみんな足に「ゲートル」を巻いて登校してたんですが、その巻き方も、

「ここからこうしてこう巻いて終わりはここ」

みたいに、びしっときちっと巻き方が決まってて、決してずれたりしないように巻いてたとか。

物を置く時とかにも、本とかがびしっと真っ直ぐきちんと並んでなくてはならなくて、まだちびだった母や弟の叔父さんが「わざと」曲げておくと叱られたそうな(笑)

「なんでもきちっとなのでやってみたくなる」

って、ちびども悪いですね(笑)

他に、学校にも誇りを持っていたので、わざと校歌を間違えて歌ったりして叱られたりと、なんやかんやとかまってほしかったのか、叔父さんと2人でやってたようです。

戦時中はそういうわけで京都に下宿してたんですが、後にそこの下宿の娘さんと恋愛結婚をしました。
もう伯父さんも伯母さんも亡くなってしまったけど、この伯母さんも京女の面白さいっぱいで、小さい体でパワフルで、私は大好きでした。

この伯母さんが「アメリカさんと祖母」で祖母に「この人ベビさん」と言われた「この人」です。

話は戻りまして、そんな昔のことは、だから聞くしかないんですが、私が実際に見てきた伯父さんは、

「理系ってこんなんなんだなあ」

と、思うことがいっぱいある人でした。

例えば、伯父さんはお酒もタバコも飲む人だったんですが、その飲み方がもう理系。

「タバコは1日13本、まず起きて1本、朝食後に1本・・・寝る前に1本」

と、1日に吸う時間が決まっていて、

「その本数で吸うと1ヶ月で大体400本、2カートン買うとちょうどええんです」

と言ってました。

お酒も量は忘れましたが、そんな風に1日に飲む量、買う量が決まってました。

私が一番記憶に残ってるのが「あんパンとクリームパン」です。

私が大学を卒業して就職し、会社の合同の研修会が2日に渡ってあったんですが、ちょっと遠く、家に戻って翌朝出ても間に合わないことがあったんです。

泊まるところがない人はホテルとかに泊まるしかなかったんでしょうが、うちはたまたま伯父さんの家(大阪)が近かったので泊めてもらうことになりました。

ちょうど伯母さんが出産したばかりの娘(当時金沢だった)のところに行ってたので、伯父さんが朝食を作って出してくれたんですが、それが「あんパンとクリームパン」と紅茶でした。

「それが何か?」と思うメニューですが、その出し方がちょっと違うんです。

あんパンもクリームパンもそれぞれ8等分に切ってある。

「私は毎朝これを食べてますんや、こうして切っておくと1つがちょうど1口で、紅茶を飲みながらちょうど食べ終わる」

と、講釈を垂れられました(笑)

一事が万事こんな風で四角四面だったらしいのですが、私が物心つく頃にはかな~り柔らかくなっていて、幼い私にシャンソンの「モンパリ」を歌ってくれたり、ちょうど泊まりに行ってた時に深夜酔っ払って帰ってきて玄関で寝てたイメージがあるもので、かなり大人になるまでは、そんな人だとは知らなかったです(笑)

土砂崩れに飲まれた祖父と伯父 ~ひよこの聞き語り(19)

今年はあちらこちらで大雨の土砂崩れやらなんやら、大変な被害が出ています。

一箇所が落ち着いたら次は他の場所で警報、の繰り返し、本当にどうなってるんでしょう。
幸いにも当地方では被害らしい被害は出ていないようですが、ほんの少し北に行くと同じ県内でも大雨が降っていたようです。

「あっちこっちで土砂崩れとかあって怖いね」

と、父親と話していたんですが、ふと思い出しました。

父親が子供の頃、いなかでも水害があったんだそうです。
うちの父親が小さい頃なので、もう80年ぐらい前になります。

その時に、まだちびだった父親は家にいたんですが、祖父と父親のすぐ上の伯父さんがタバコの葉っぱを入れてあるタバコ小屋の様子を見に行って、そこで土砂崩れに飲み込まれました。

運良くどちらもすぐに土砂崩れから逃れて出て来ることができて助かったんですが、すぐに入院してしばらく病院にいたそうです。

祖父からはそういう話を聞くことはできませんでしたが、伯父さんが話してくれたのは、

「退院してからもしばらく、咳をしたりすると木片とかがどこかから出てきた」

んだそうです。

幸いにも飲み込まれた大部分の人が助かったんですが、1人だけ女性の方が行方不明になりました。

あっちこっち探したんですが見つからず、行方不明になってから一週間だか十日だか経った頃、

「あそこに人魂が出る」

と、噂になったところを探してみたら、そこから見つかったんだそうです。

オカルトとかではなく、人間は死んで腐っていく途中でリンが出てきて、それが燃えたようになって人魂が出る、というのが本当だった、と父親が言ってました。

「一度死に損なった人は長生きする」

と言われるんですが、祖父は96歳まで、伯父さんは88歳まで生きたので本当かも知れません。

でもやっぱり土砂崩れは怖いです。
「まだ大丈夫だろう」ではなく、「もしかしたら」と早めに逃げること、を心がけるようにしないといけない、とあらためて思いました。

大きな台風も近づいてくる可能性があります。
少しでも被害が少なくありますように。