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祖母と闇市 ~ひよこの聞き語り(5)

今回も母方の祖母の話です。

祖母は大層な働き者だった、という話を以前(祖母のこと(1))書きましたが、戦時中か戦後か分かりませんが、祖母は闇市で商売をしたことがあったそうです。

ずっとなのか、その時だけなのかは分かりません。
確かめようにももう覚えてる人もいませんし・・・
ただ、母から「こんなことがあった」と聞いたことがあるので、そのことを書こうと思います。

当時の母の年齢から、おそらく広島の竹原に疎開していた頃のことだと思いますが、祖母は「塩あん」のおまんじゅうを作って闇市に売りに行ったことがあるそうです。

「塩あん」とは、物のない時代のことで、小豆なのか他の豆類なのかは分かりませんが、それであんこを炊いて、砂糖の代わりに塩で味付けをしたものだそうです。

「え、甘くないあんこなんておいしいの?」

と聞いたら母が、

「物のない時代だったから、そんなおまんじゅうでもよく売れたらしい」

と教えてくれました。

そうして儲けたお金で祖母は母に「豚革の靴」を買ってくれたんだそうです。
もちろん買ったのは闇市ででしょうねえ。

広島の親類(一番上のおばさんの嫁ぎ先)に疎開させてもらってとりあえず食べる物はなんとか食べられる中、そういう物はやはり不足していたんでしょうね。
祖父は神戸に残って仕事をしていたけれど、その時のお給料とか仕送りとかがどうなってるかまでは分かりません。
ただ、「ぜいたく品」を買うにはお金が足りなかったのじゃないか、と思われます。

「買ってもらってすごくうれしかった」

と母は言ってました。

当時は本当に物がなく、紙製の靴とかもあったと聞いたような気が・・・
そんな中、本物の豚革の靴、それはうれしかったことでしょう。

他の兄弟姉妹にも何かを買ったのか、その時は母だけだったのかも分かりませんが、とにかく新しい靴、ものすごくうれしかったようで、何回もその話を聞きました。

子供の頃に聞いた時は「へ~」ぐらいだったんですが、大人になっていくにしたがって「おばあちゃんすごいなあ」と思うようになりました。

闇市なんて怖いですよ、どんな人がいるか分からないし。
そんな中、神戸から来て親類に身を寄せながら、手に入る材料を工夫して食べさせるだけじゃなく、お金儲けをして子供に少しでも不自由をかけないようにしてやりたい、そう思ったんでしょうね。
一応は奥様で、戦争がなくて神戸にいたら、そんな商売しなくて済むような人が、よく思いついたと思います。
そんな祖母を、私はすごく尊敬しています。

祖母と婚約者 ~ひよこの聞き語り(3)

先日(「とと姉ちゃんを見て祖父を思う」)と昨日(「祖母のこと(1)」(レースの手袋と祖母に改題))で祖父母のことを書かせていただいたんですが、これからはまとめて「ひよこの聞き語り」として書いていこうと思います。
なので順番として、前のを(1)と(2)として、今日から祖父母達のことを書く時は(3)(4)と続けていくことになります。
どうぞよろしくお願いします。

さて、せっかくシリーズ化(笑)したので、昨日と続けて祖母のことを書きたいと思います。

祖母は、昨日も書いたんですが、神戸で生まれ育ちました。
その後、私の母方の兄弟姉妹も、途中で疎開や学校などで離れることはありましたが、基本的には神戸の生まれ育ちです。
私の代で三代目なので、江戸っ子と同じく一応神戸っ子になりますか。
今は市としては神戸からちょっと離れてしまってるんですが、活動地域が半分神戸ということと、本籍地は神戸のままなので今でも神戸っ子を名乗っておりますが(笑)

祖母はおそらく5人姉妹の下から2番目か3番目、と昨日も書きましたが、そのへん私はちょっとよく分かりません。
祖母の一番上の姉と下の妹は私も直接知ってるしかわいがってももらったんですが、祖母を含めた中のおそらく3人は、私が生まれるずっと前に亡くなってしまってるからです。

それに、何しろ母が一番上の伯母とは15歳も離れているし、祖父母ともそう長命ではなかったので、あまり知るところがないんですね。
なので全然知らなくても不思議じゃないところを、母や伯父伯母やその他の人から色々聞いていて、しかもそれを結構よく覚えているので、高松の叔父が「知らないことがあったら私に聞け」と言うぐらいだったりします(笑)

そんな祖母のことでこれも大きく記憶に残ってることがありますので、今日はそのことを。

どういう経緯かは分かりませんが、祖母には祖父と結婚する前に婚約者がいたそうです。

これもまたどういうことからかは分かりませんが、その方がお仕事か何かで家を離れることが多かったのか、あまり帰ってこないその家に、行儀見習か花嫁修業かは分かりませんが、家事なんぞをしながら住むことになっていたそうです。

その婚約者さん、大阪の将校さんで、結構大きな家の方、良い人で男前でもあったそうですが、なぜか祖母はその方が帰ってくるのがとっても怖かったんだそうです。

「将校さんが帰ってくる時に軍靴がかつかつと鳴るのが聞こえるともう怖くて怖くて」

と言っていたそうなので、おそらく、その方個人と言うより軍人さんが怖かったのかも知れません。

何にしろ、怖くて怖くてそのまま結婚するということに耐えられず、ある夜、裸足でそのお屋敷(らしかったですよ)から飛び出し、そのまま神戸の花隈で料亭をしていた一番上の姉(私の大伯母)のところまで逃げて帰ってきたんだそうです。

その後、どういう話になったのかは分かりませんが、結婚の話はなくなり、そのまま姉のところで働くか、またよそに働きに行ったのかは分かりませんが、その時に祖父と知り合い結婚をしたそうです。
明治か大正のことなので、恋愛結婚ってそう多くなかったと思うんですが、そのあたりの詳しいことを聞けなかったのはちょっと残念(笑)

子供の頃にこの話を聞いて、

「ドラマチックだなあ」

と思ったのを覚えています。

祖父も祖母も話を聞く限り穏やかな方だったようなので、夜中に走って逃げてくる、なんて誰も思いもしなかったんでしょうねえ。

もしも、その時にその将校さんと結婚してたら、今、ここに私はいないかも知れません。
そう思うと逃げてくれた祖母に感謝、かしら?(笑)